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健康保険証廃止の自民党がいいですか? 健康保険証継続の立憲民主党がいいですか? 国民に選択を迫ればいい。 自民党は大敗を喫すであろう。 他のことは一切言わなくていい。 共産党やれいわ新選組に任せておけばいい。 単純明解な二項対立で、どっちを取るか、国民の判断を仰ぐ。 日本維新の会など、一発でぶっちぎれる、政権奪取まで、 一気に、ダッシュできるかもしれない。 健康保険証は、日本国民の命綱である。 保守も改革も、右翼も左翼も関係ない。 それが今、廃止されようとしている。断々乎、継続の声を上げよ。 「政権交代可能な健全野党」立憲民主党の存在意義を、 今こそ、全力で、全党勢を注ぎ込んで、アピールせよ。 「政権交代可能な健全野党」など、フンてなものでしかないのではあるが、 健康保険証継続には、どうしたって野党第一党に勝ってもらわにゃならん。 健康保険証を廃止しなくたって、日本社会のデジタル化を推進することは、 いかようにも可能である。自民党の詭弁を徹底的に批判し、 真っ当なデジタル化推進政策を示し、健康保険証継続を訴えよ。 健康保険証廃止のメリット・デメリットを、 健康保険証継続のメリット・デメリットを、公平に上げるだけでいいのだ。 どちらが国民にとって、より有益であるか、答えは明らかなはず。 現行の健康保険証を廃止、マイナンバーカードで代行させるなど、 悪政なんてもんじゃない、烏滸の沙汰、不条理極まる愚挙である。 とんでもない事態が、すでに惹起している。即刻、撤回であろう。 上掲は、6月13日付毎日新聞朝刊記事。クソのような記事である。 新聞がその本分を放擲、国民に必要な情報を与えないのであれば、 野党第一党がやらねばならぬ。そうした努力こそが支持に繋がる。 すべての身分証明を、 マイナンバーカード一枚に集約する、これがいかに危うい政策であるか、 健康保険証が、いかに国民生活に根付き遍く国民の生命を守っているか、 今こそ、全力で、全党勢を注ぎ込んで、アピールせよ。
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by blog-blues
| 2023-06-13 23:11
| ニュースの時間
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川島雄三作品に、出会え、好きになれたのだから、 生まれてきた甲斐があった、そう思い続けるほど、 惚れ込んでるベタ惚れしてる、映画監督なのです。 上映可能な作品は、ほぼ全作品、鑑賞しています。 代表作の一つである本作など、二十代の頃から数十回は観ている。 今回、取り上げたのは、蓮實重彦の映画評をネットで読んだから。 ドン・シーゲル『殺し屋ネルソン』を、生涯の傑作と胸に刻んでいる、 氏の文章に接し、破調と緊張こそが、映画の映画たる所以というのなら、 どっこい、俺は、川島雄三だぜ、『しとやかな獣』を観よと、 言いたくなってしまったのです。 元海軍中佐の父、その妻、長女、長男、しとやかな獣一家が棲む、 団地の一室。音楽プロダクションに勤める長男の使い込みが発覚、 対応に大童した後の一瞬の静寂。ベランダの外に広がる夕焼け空、 TVから流れるロカビリーに合わせ、長女と長男が踊り狂う。 画面から流れる音楽は、ロカビリーでなく、能の謡である。 凄まじい映画的破調と緊張に、身も心も痺れる。 僕は、二十代の頃、名画座で、これを体験した。 #
by blog-blues
| 2023-05-31 23:09
| シネマ夜話
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目から鱗、なるほど、ロングセラーになるはずだ。 日本は、否応なく、近代化させられたのだ。 それは、歴史的必然であり、抗いきれるものではなかった。 著者は、日本の近代化を、この文脈で、是非もないと。 それは、アジア諸国に於いて日本のみが近代化に成功したと、 明治維新を自画自賛する、司馬遼太郎『坂の上の雲』に象徴される、 知識階級から一般大衆にまで至る、大方の見方に、疑義を投じるものだ。 本書を読んで、誰もが抱くであろう感想、 近代化しなかったほうが、日本は、日本人は、幸せだったのではないか。 そんなアンチテーゼを投げかけ、読者をして考えさせる本は稀有である。 僕は、落語好きで、昔からよく聴いてきたので、 著者が、幕末から明治にかけ来日した外国人の目に映った日本社会を、 執拗なまでに紹介しまくるエピソードの数々が、ストンと腑に落ちる。 古典落語が描くのは、まさに、逝きし世の面影であり、 好いなあと思うのは、それが、浮世離れしてるからなのだ。 本書の主題は、第一章「ある文明の幻影」にて、ほぼ語り尽くされており、 以下、第十四章までの連なりは、その変奏でしかないのだが、 僕は、第八章「裸体と性」を、最も面白く読んだ。 ページをめくるたび、呵々大笑である。 日本人の心性を、セックスを核に、文化人類学的視点から追究し、 哄笑を誘いつつ問い続けた今村昌平に、ぜひ映画化してほしいと、 叶わぬ願いを抱いたほどだ。 性に関して頗る開放的な、逝きし世の人々に対し、 著者は、瞠目と同時に、斯く記すのだ。 …徳川期の日本人は、一般に性を笑いの対象ととらえていたのである。 それは人間性についてのリアリズムにもとづく、 ある種の寛容といってよかろう。(中略)が、 人間の欲望を一種の自然として受けいれるそういうリアリズムは、 人間性についての卑俗なシニシズムとじつは皮一重であったかも知れない。 読むたびに感じる、知の力は、本書にも横溢している。 僕が、渡辺京二を読むきっかけとなった、今年の正月に放送された、 氏を追悼したNHK教育のドキュメンタリー番組では、 ラストシーンで、以下の氏の言葉が、スーパーインポーズされ語られた。 つまり自分は一人である 自分は自分の考えで生きている 国からも支配されない いわゆる世論からも 妄想からも支配されない というあり方ができるのは 自分がある土地に 仲間とともに結びついている と感じるからなんだ 自分がこの世の中で 自分でありたい 妄想に支配されたくないという 同じ思いの仲間がいる それが小さな国である 自分が自分でありたいという 自分と 同じく自分が自分で ありたい人たちで作った仲間が 小さな国になっていく そういうものを しっかり作るということが 僕の思う革命なのさ 渡辺京二、読むべし。
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by blog-blues
| 2023-05-08 10:34
| 文学の風
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挑戦する超左翼おじさん、 松竹伸幸氏による、党中央への異議申し立てである。 氏の異議申し立ての中身は、 選挙で負け続けている党首の責任が問われないのは、おかしい。 党首公選を実施すべきでは、ないだろうか。というものである。 こうした声を上げた、党員歴半世紀に及ぶ古参党員を、 問答無用で除名処分した党を、一体、誰が、 護憲政党だと認めるだろうか。 日本国憲法って大事だよねって思う国民の、 ほとんどすべては、認めねえよ。 そのことを、僕は問いたい。 山添拓に、辰巳コータローに、吉良よし子に、池内さおりに。 あなたがた、口を開けば、護憲護憲と言ってるくせに、 党中央の決定に、一言も、疑義を挟めないではないか。 党中央の決定が、本当に、本心から、自分の考えと一致してるのか。 違うだろう、おかしいなと内心思いながら、何も言えないんだろう。 あなたがたは、みんなアイヒマンだ。二度と護憲などと、口走るな。 今回の大惨敗を目の当たりにして、その根本原因は、なんだ。 選挙で負け続けても党首の責任が問われない、党組織の原理、 民主集中制にあるのではないか、疑義を抱く党員は、本当に、 誰一人いないのか。そんなこと、ないでしょ、勇気を出せよ。 今ここで、声を上げなければ、共産党は衰退から消滅へ向かう。 党員も支持者も高齢者ばかり、自然の摂理に敵うわけがないさ。 ♪~古い船には新しい水夫が 乗り込んでゆくだろう 古い船を今動かせるのは 古い水夫じゃないだろう なぜなら古い船も新しい船のように 新しい海へ出る 古い水夫は知っているのさ 新しい海の怖さを~ 共産党員、ファイティン! 浜野とかいう人、ほとんど全ての国民には知られていない人が、 その人のいう、共産党は革命を目指す政党なのだから、 国民政党になる必要はない、という考えに、 バカじゃね、と思う党員は、何度でも繰り返す、 本当に、何十万人もいる党員の中に、一人もいないのか。 今の日本で、革命を成就したいのであれば、 国民政党に脱皮しなければならない、そう考える党員は、 本当に、何十万人もいる党員の中に、一人もいないのか。 #
by blog-blues
| 2023-04-25 11:04
| ニュースの時間
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僕んところは、都下の市議会選挙。公示前だというのに、 必死の選挙運動を、共産党が展開している。 前回は、公示前はおろか選挙期間中でさえ、 一回こっきりしか遭遇しなかった街宣が、 今回は、ひっきりなしである。 この隔たりは、なにか。言うまでもない、 松竹伸幸氏の除名問題であろう。ここで惨敗したんじゃ、 党中央の面目が立たないと檄が飛び、そのリアクションだろう。 立派な政党ですね、と言おうか。怖い政党ですね、と言おうか。 統一地方選の選挙を担う、九州長崎の県幹部は、 自民党長老議員の発言を、自ツイッターで紹介、悦に入っている。 自民党って、なんて懐が深いんだろう。 多くの有権者が、この発言に対し、やっぱ、 任せられるのは、自民党だよねって、思うだろう。 翻って、共産党、松竹氏を問答無用で、除名した。 なんて懐が浅いんだろう、こんな政党が、もし万が一にも、 政治権力を握ったならば。 共産党に一票を投じてきた、僕もその一人だ、支持者に言いたい。 今のままの政治体制でいい、そのアクセントとして、 共産党にいてほしいというのなら、今回も投票すればいいさ。 否、今のままの政治体制じゃだめなんだ、 共産党に政権を取ってほしいと希むなら。 今回は、共産党に、投票してはならない。 大惨敗を喫しさせ、その敗北の中からの、 再生を期すべきであろう。 それでは、金輪際、政権は取れないし、もし万が一にも、 政権を奪取することがあったなら、とてつもない不幸が、 国民に降りかかるだろう。 党員本位でない政党が、国民本位の政治を、行えるわけがない。 国民の大多数は、共産党員よりもバカだろうが、 ものごとの道理なんぞ、共産党員よりもずっとよく知ってるさ。 だが、然し。共産党が、このまま衰退してしまったならば、 戦後民主主義は、終焉してしまう。確実に、新しい戦前だ。 民主主義から最も遠い政党が、戦後民主主義の最後の砦なのだ。 見捨てるわけにはいかないか、でも、ここで一票投じたならば、 反共攻撃を跳ね除けて大健闘、わが党の正しさが証明されたと、 ドヤ顔されっちまう、きっと。ああ、今のままだ。 現われ出でよ、シン・共産党! なんで議論をしないの、共産党の人たちは。 議論こそが、民主主義の民主主義たる所以だよ。 そんなことも知らないの。松竹氏は、提議したんだ、 党首公選しましょうと。尤もだと思う党員は、一人もいないの。 心では思っても、口に出せないの。そんな党が、 どうして、日本国憲法を守れって、言えるんだ。 おかしくないか、そう疑問を持つ党員は、本当に、一人もいないの。 山添拓は、辰巳コータローは、吉良よし子は、池内さおりは、 なぜ、黙ってるんだ。自分の意見は持たない、アイヒマンか。 心ある党員は、全存在を懸け、松竹氏の除名処分を撤回せよ。 #
by blog-blues
| 2023-04-09 00:46
| ニュースの時間
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