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「村野瀬玲奈の秘書課広報室」である。怒り全開である。まったく正しい。
玲奈嬢は、本気で「政権交代」に期待していた。もちろん、危惧もしていた。 だから、みんなして民主党政権を私たちの望む方向へ引っ張っていきましょうと、 そりゃ蟷螂の斧かも知れないが、実に熱心に、左派・市民派ブログシーンへ 呼び掛けつづけていた。 然るに、民主党政権の、派遣問題への対応はどうだ。普天間問題への対応はどうだ。 玲奈嬢の期待とは、希望とは、まったく違ったものだった。その事実を眼前にしたとき、 さて、あなたなら、どうしますか。 事実に顔を背け、なんだかんだリクツを捏ねまわし、自らの不明を糊塗するんじゃないの。 自己の言動に責任を持つ気概より、お体裁が大事な人なら、そうだよね。 その代表選手が「反戦な家づくり」。不明を愧じることが、そんなに難しいことかしら。 村野瀬玲奈は男でござる。いや、女性ですけど、多分。 事実に正対し、民主党政権をきびしく糾弾している。本気で期待して、裏切られたのなら、 そうなるのが節理だ。そうするのが道理だ。無念というものがあろう。 本気の人間には、必ずあるものだ。 違いますか、「政権交代」に期待していた左派・市民派ブロガーよ。 あなたの期待は何だったのか。それが、今、問われているんだよ。 #
by blog-blues
| 2010-05-30 04:20
| ニュースの時間
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Comments(7)
蟷螂の斧ではあるが。僕ら、左派・市民派ブログシーンに依拠し、護憲や反自民を表明するブログの多くは、普天間基地問題に対し、断然沖縄県民の味方であり、米軍基地国外移設、基地撤去を求めている。護憲なら、当たり前だ。
然るに、その多くは、民主党を支持している。気は確かですか。民主党が護憲政党かよ、大本から考え直しちゃくれないか。民主党指導者はイチローくんであり、由紀夫クンですぞ。彼らは、護憲ではない。断じてない。一体全体、誰に期待して、護憲の念いを民主党に託せるのであろうか。そんな馬鹿気た真似をしてるから、政権交代が、ちっとも実のあるものにならないのだ。 もちろん、イチローくんこそは、現政界で望み得る最良の保守政治家であり、その改憲論は傾聴に値する。「BLOG BLUES」の愛読者であれば、知らぬ者とてない、僕の小沢評だ。しかし、イチローくんは、筋金入りの改憲論者だ。評価はできても、護憲の念いを託すことなどできようはずもない。 護憲とは、イコール反自民であり、反自民とは、イコール反米であり、反財界だよ。漠然と或は闇雲に民主党を持ち上げて、それで反米政策が、反財界政策が、上がって来るものか。小学生にだってわかる理屈じゃないか。もっと白真剣に考えたらどうだ。 そうした護憲を標榜しながら、民主党を支持するというブロガーの中から、これは、やっぱおかしい。考えを改めるべきだというブログが現れた。「村野瀬玲奈の秘書課広報室」である。ぬ、ぬあんと、米軍お引き取りくださいと民主党が明言できないのなら、それを明言し得た赤旗志位之助にこそ、外務大臣就任を求めるとの意見表明なのだ。 民主党を動かそうと思ったら、これだよ。政治を少しでも好くしたいんなら、 生前忌野清志郎も言ってた通り、共産党に投票することさ。 比例区で共産党が一千万票取れば、保守陣営は多少なりとも動揺する。 マスコミ報道にも変化が顕れよう。政権交代を実のあるものにするには、この一手。 久しぶりに、やらかしたい。いいっすか、せーのォ「比例区は共産党」! #
by blog-blues
| 2010-05-06 13:36
| ニュースの時間
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というのは、誇大表現でして。ハマりつつあるといっても、まだ遠い。
ハマりたいものであるという、未だ願望レベル。で、 なぜ文楽かと申しますれば。べべんべん。 ことの起こりは、NHK-BSの開局20周年記念企画の アーカイブス番組で「闘う三味線〜人間国宝に挑む」を観たのですね。 人形浄瑠璃=文楽の義太夫語りと三味線弾きの凄絶なインタープレイの世界、 いやもう、吃驚した。山下洋輔トリオの演奏みたいに劇しく、かつトラッド! ぐぐーっと画面に惹き付けられた。で、はたと。べべんべん。 そうだ、確か三浦しをんが、 文楽を素材にして、何か書いてたはず。 早速、図書館へ行って見つけ出した。 小説「仏果を得ず」とエッセイ「あやつられ文楽鑑賞」。 たちまち読了してしまい、知る人ぞ知る名著、杉山其日庵の 「浄瑠璃素人解釈」まで手を伸ばしてしまったという次第。 それにしても、さすが平成の高等遊民、三浦しをんである。 文楽の魅力をオタク魂全開、ミーハー根性丸出しで熱く語るのだ。 その幸せ一杯胸一杯、だってだって私は文楽に恋しているんだもん! ってな調子は、必ずや浄瑠璃処女、文楽童貞をも幸せ一杯にするに相違ない。 経験者がいうのですから、本当です。 小説も面白いが、エッセイが輪をかけて面白い。 ぬ、ぬあんと、現役ばりばりの直木賞作家が、大近松の不朽の名作 「女殺油地獄」を素人解釈しちゃうのだ。なんという勇気あるいは度胸。 的は、近松門左衛門ですよ。プロの小説書きなら普通、たとえ読んでなくとも 読んだふりして、解ったような素振りで、蘊蓄傾ける処であろうに。 三浦しをんは、自分の感受性と解釈力だけを頼りに、唯々文楽の舞台に魅入り、 「女殺油地獄」の劇作の秘密を解いてゆくのである。これが、 サスペンスフルなんだなあ。結論は、放蕩息子与兵衛による人妻お吉殺しは、 不条理殺人であり、大近松にして、そして文楽という演劇形式を以てして、 はじめて不条理殺人を不条理殺人そのものとして描き得たと絶賛するのである。 今村昌平が、連続殺人魔西口彰を描いたドキュメント「復讐するは我にあり」を 映画化するにあたり、犯人の動機が解らない。いわゆる不条理殺人であろうが、 この手の映画は「冷血」にしても、さっぱりわけが解らず、ちっとも面白くなかった。 自分が映画化する以上は、解らないということが、よく解る映画に 仕上げねばならないと肝に銘じたそうである。 三浦しをんの「女殺油地獄」絶賛を読んで、僕は、そのことを想い起した。 #
by blog-blues
| 2010-04-27 15:32
| 文学の風
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漫画家水木しげるは、編集者に「奥さんはどんな人ですか」と訊かれ、
「生まれてきたから生きているというような人間です」と答えたそうな。 う〜ん、言いも言ったり、言われも言われたり。 さすがにゲゲゲの夫婦だ、浮世ばなれしている。感歎のほかない。 NHKの朝ドラは、8時には家を出なくてはならないので観ていないが、 原作本のほうは、毎日昼休みに勤務先近くの書店に足を運び、 立読み読了してしまった。一読し食指が動いたのだが、なんせ逼迫した 経済状態にあり、新刊本購入もままならぬのだ。しかし、立読み最期の日、 著者あとがきまで読み、矢も盾もたまらず大枚はたくことにした。 水木しげるの「ねぼけ人生」は、僕の座右の一冊だが、氏の糟糠の妻である 武良布枝の「ゲゲゲの女房」もまた、その一冊に加わるだろう。 生まれてきたから生きている、そんな人間の紡ぐ言の葉の 如何に美しいことか。そのサワリを引用しよう。とくと玩味されたい。 『…なんだかいまは、「家庭環境」「結婚」「就職」など、人生の入り口で どれだけ幸運をつかむかで、その後のすべてが決まってしまうかのように 思い込んでしまう人が多いと聞きます。 人生の入り口での状態は、といえば、水木も私も、お世辞にも、幸運だったとは いえないでしょう。でも、「いろいろなことがあったけれど、幸せだ」と 素直にいえるのは、「水木が自分自身を信じ続け、私も水木を信じ続けてきた」 からだと思います。自分が選んだ道をひたむきに生きていれば、 「来たるべきときが必ず来る」とふたりとも信じていたのです。…』 今、読み返してみて、一曲歌いたくなった。拙作「花に翼はなくていい」。 ♪~ 花として生まれしいのち ならば 花と咲け 鳥として生まれしいのち ならば 空を飛べ さずけられしいのちなら 授かりしままに生きるだけ 花に翼はなくていい 鳥に蕾はなくていい #
by blog-blues
| 2010-04-14 13:07
| 文学の風
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在京の民放テレビ局では、テレビ東京がいちばん好きだ。
視聴率競争の最下位をつねに独走し、番外地と蔑称されている。 昭和天皇崩御の際は、特別編成の他局を尻目に、 ひとり孤塁を守り、通常編成で臨んだ。 番外地まけるなBLUESこれにあり そのテレ東の開局45周年記念ドラマ「シューシャインボーイ」を鑑賞した。 原作浅田次郎、脚本鎌田敏夫、演出石橋冠。感想をつづりたい。 異議申し立てであり、謳い上げたのは「義理人情」である。 庶民大衆相手の伝統芸能、説教節・浄瑠璃・浪花節・歌謡曲によって 形成され継承されて来た、ネイキッドな日本人の精神文化である。 ドラマ冒頭近くのシーン。生き残ったことを苦にして生きる 兵隊帰りの靴みがきに拾われ育てられ、戦災孤児から一代で 食品メーカーを築いた叩き上げ社長が、リストラの首切り役を務めた自分を責め 銀行マンからお抱え運転手になった戦争を知らない四十男に、 問わず語りに胸の内を明かす。 「…何かの拍子でよ、てめえの家だけ焼け残ったなんかすっとな、何だか 申し訳ねえような気になってよ、次の空襲でてめえんちが焼けたときにゃ ホッとしたってゆうんだからな…日本人と思わねえか。てめえだけよ、 いい思いしてっと周りにすまねえなんてな、日本人だと思わねえか。 自分だけ得すりゃいい、自分だけもうかりゃいい…そんなのお前、 日本人のするこっちゃねえよ」 そして、ドラマのクライマックス。社長夫人もまた 戦災孤児だったことが明かされ、叩き上げ社長の心の歌として、 戦後歌謡珠玉の名曲「ガード下の靴みがき」が歌われる。 僕はなぜかこの歌を覚えていて、今でも三番まで空で歌える。 ちょっと歌ってみようか。 ♪〜赤い夕日がガードを染めて ビルの向うに沈んだら 街にゃネオンの花が咲く おいら貧しい靴みがき あゝ夜になっても 帰れない ♪〜墨で汚れたポケットのぞきゃ 今日も小さなお札だけ 風の寒さやひもじさにゃ なれているから泣かないが あゝ夢のない身が つらいのさ ♪〜だれも買ってはくれない花を 抱いてあの子が泣いている かわいそうだよお月さん なんでこの世の幸せが あゝみんなそっぽを 向くんだろう たまらないのは三番のサビの部分だ。♪〜かわいそうだよお月さん〜 でも貧しい靴みがきの少年には、少女をどうしてあげることもできない。 だから、せめて、少女の幸せを月に祈るんだ。 健気で、いじらしいじゃないか。当時の日本人は、みんなこの歌に 泣いたんだ。それが、日本人なんだ。外国人のことは知らないので、 日本人というのだけれど、♪〜かわいそうだよお月さん〜 人の情けを失してしまったら、それはもう、日本人ではあるまい。 新自由主義が恐ろしいのは、苛烈な経済政策もさることながら、 その大本の弱肉強食を是とするイデオロギーの獰猛さにある。 自分だけの功利を潔しとして来なかった、庶民大衆の醇風美俗の破壊にある。 日本人が日本人でなくなる前に、扶け合って生きる社会を リストラクチャリングしなければ。今ならまだ、間に合うかもしれない。 #
by blog-blues
| 2010-03-29 17:26
| シネマ夜話
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