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日本語を、つまりは日本文化を、ひいては日本を、愛する者にとって
必読の書であろう。水村美苗「日本語が亡びるとき〜英語の世紀の中で」。 ![]() 本書は、 『私は十二歳で父親の仕事で家族と ともにニューヨークに渡り、それ以 来ずっとアメリカにも英語にもなじ めず、親が娘のためにともってきた 日本語の古い小説ばかり読み日本に 恋いこがれ続け、それでいながらな んと二十年もアメリカに居続けてし まったという経歴の持主』が、日本 語の惨状と存亡の危機に居ても立っ てもいられず、自らのアイデンティ ティを賭して世に問うた、憂国の檄 である。 『人間をある人間たらしめるのは、国家でもなく、血でもなく、その人間が使う言葉である。日本人を日本人たらしめるのは、日本の国家でもなく、日本人の血でもなく、日本語なのである。それも、長い〈書き言葉〉の伝統をもった日本語なのである。〈国語〉こそ可能な限り格差をなくすべきなのである。』 25万語を費やし展開される、スリリングで明晰な 〈普遍語〉〈国語〉〈現地語〉に関する考察と、それに基づく 熱誠の直言は、劇しく心を打ち、存分に知的興奮を味わせてくれる。 著者は〈叡智を求める人〉であり、天は人の上に人をつくるという 悲しい真実を呼び起こさせる。新かなづかいで育った今日びの作家など、 裸足で逃げ出すほかないだろう。米国在住の戦友ともいうべき同性の友人 との酒場での会話が挿入されるが、まさに一刀両断である。こんな具合。 『あたしたちが小さいころ、小説家っていったら、モンのすごく頭がよくって、いろんなことを考えていてーなにしろ、世の中で一番尊敬できる人たちだと思ってたじゃない。それが、今、日本じゃあ、あたしなんかより頭の悪い人たちが書いてるんだから、あんなもん読む気がしない』 いやー、度胸もすごい。「とかくめだかは群れたがる」と言い放った平林たい子 みたいだ。絶滅したはずの「文士」でやんす。千万人といえども我往かんの気概。 トーゼン、熱い魂の持主。日本近代文学の奇跡を称揚しつつ、こんな感想も記す。 『さらには、私の世代が子供のころに読んだ安本末子の「にあんちゃん」などもある。戦後、母を失い、父を失い、兄妹四人だけで残されて大鶴炭鉱で働く韓国人家族の生活を十歳の少女が綴った日記である。見たままを書く、感じたままを書く、だからものを読んだことのない人間でも書けるーというのが〈国語イデオロギー〉の根底にある言語観である。そのような言語観はつまらぬ文章を巷に洪水のように氾濫させる代わりに、美しい心をした子供に宝石のような文章を書かせることがある。〈国語イデオロギー〉のもつ強みは、当時韓国籍であった十歳の少女によって、日本語で花ひらいたのであった。小学生のころ「にあんちゃん」をくり返し読んだ私は、長じてから、果たして自分が書くものがあの感動を与えられるかどうか問い続けることとなった。』 思えば僕自身、漱石も鴎外も一葉も、ほんの一齧りしただけである。 ほとんどまったく読んでない。それで文芸ブログを自称するのであるから、 厚釜しいにもほどがある。物を知らない、恥を知らないってことは、 かくも強いものなのね。う〜ん、マンダム。 英語の世紀の中で、いまさらバイリンガルになれるわけでなし。 名作古典の一通りくらい読んでみなくてはと思いはしたが。旧字旧仮名遣ひの それらを果たして読み通すことができるだろうか。甚だ心もとない。 ![]() ![]() 日本語は、生き延びることが、できるか。 ■
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by blog-blues
| 2009-01-29 14:44
| 文学の風
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それは、まごうかたなき革命的ゲリラ戦だった。
彼らは、先ず砦を築いた。場所は、花の都のど真ん中、 日比谷公園に定めた。恐るべき慧眼と言わねばなるまい。 要所に砦を築けば、自ずと人は押し寄せる。人が押し寄せれば、 運動は勢いづく。砦は「年越し派遣村」と名づけられた。 このネーミングのパンチ力はどうだ!可哀想だは惚れたってことよ。 庶民感情を大いに揺さぶり、体制御用のTVマスコミさえ動かした。 ![]() 機を逃さず、反転攻勢に打って出る。虚を衝く厚労省への遊撃出陣だ。 日比谷公園から霞ヶ関までは目と鼻の先、練りに練った奇襲作戦に相違ない。 直江兼続か!かくて直談判の末、省舍の講堂を開放させた。 歴史的勝利と申し上げたい。民草の力が、国家組織の門戸を開かせたのだ。 立役者は、湯浅誠。派遣村の村長さんですね。あらためて、ありったけの エールをお贈りする。よーし!異議なーし!村長!大棟梁!Yeah!ブラボー! 派遣村に最も献身したのは、既成政党の中では、共産党だった。 日本国民周知の事実だ。さあ、そこで、赤旗志位之助クンに相談なんだが。 来たる総選挙の比例区代表名簿のトップに、湯浅村長をリストアップしてはどうか。 有権者の多くが立ちすくむ「アカの壁」が、 乗り越えやすうなるで。3百万票は上積みできまっせ。いやホンマ。 戦いなんです。ソロバンも弾かにゃなりません。マスコミも惹きつけにゃ なりません。当の湯浅村長が、実戦で示した通り。 勝利を望むなら、何より、他者の力を求めよ! 真の革命は愛という偉大な感情によって導かれるとゲバラは言った。 直江兼続の兜の前立は「愛」一文字である。 共産党につきまとう「独善」の汚名を返上し、 市民運動の旗手、湯浅誠を三雇の礼で以て迎え入れるのです。 すべては、政治の中身を変えるために。やってみなはれ。 ![]() あなたも、太陽の下で。 他者の力を求めよう。 ■
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by blog-blues
| 2009-01-13 15:07
| ニュースの時間
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「BLOG BLUES 」読者のみなさん、
あけましておめでとうございます。本年も、よろしくネ! 昨日5日がブログ始めだったのですが、 なんやかや用事がありまして、コメントへのレスだけで。 では、気を入れ直し。新春エントリー第一弾、UPしますです。 いま思えば、である。世界が最も輝いていた1969年、僕は、 高校一年生だった。ピッピームーブメント、ロックカルチャー、アングラブーム、 能天気で流行もの好きな僕は、それらを全身で浴びた。全霊で受けた。 以来、オルタナティブな人生をどうにかこうにか歩んで来た。歩んで来られた。 奇跡的に運がよかったんだ。僕の仲間は、アル中になったり、新興宗教に嵌ったり、 散々だ。オルタナティブな人生を謳歌する者が増えちゃ体制の危機だからね。 そうは問屋が卸してくんない。そいつをかいくぐって、陽気で坦々として、 而も己を売らないことをとーわが魂の願うままに生きるは、至難の業なんだ。 それでも僕の場合は、なんせ時代が、高度成長経済だったから。 社会のおこぼれ、おめこぼしに、預かることができた。 いまのご時世じゃあ、とっても、無理だろう。 一月半くらい前かしら、NHK-BSで「伝説の喫茶店物語/新宿文化の聖地〜風月堂」 と題された、近過去の歴史ドキュメンタリー番組が放送された。 「ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどと 誰にも言わせまい」そんな番組でした。 ![]() 番組の後半、アングラフォークの、死語ですネ、鬼才早川義夫が登場し、 新宿風月堂への念いをつづった唄をうたった。 ♪〜 詩人とか絵描きとか でも誰も名を知らない 何かが始まりそうな 自分を見つめてた あんなところ今はない あんな空気今はない 僕の小さな青春が 息をしていた みんな自分の 夢に生きていた 柳がゆれる 新宿風月堂 〜 派遣労働者が、辛酸を嘗めている。正社員にして欲しいと嘆願している。 僕らは、いかに企業社会から逃れるかと足掻いたものだ。敢えて、言わせてください。 われを重んじよ、派遣の青年。君が、企業社会に組み込まれなかった場所に いるということは、しかたがないことであり、なおかつ、よいことである。 そのことをよいこととして、派遣の青年よ、生きよ。 格差社会からレボリューション。そんな希望も、あるはずだ。 ■
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by blog-blues
| 2009-01-06 14:08
| 音楽狂室
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