カテゴリ
リンク
最新のコメント
最新のトラックバック
最新の記事
以前の記事
2026年 02月 2026年 01月 2025年 12月 2025年 11月 2025年 10月 2025年 09月 2025年 08月 2025年 07月 2025年 06月 2025年 05月 2025年 04月 2025年 03月 2025年 02月 2025年 01月 2024年 12月 2024年 11月 2024年 10月 2024年 09月 2024年 08月 2024年 07月 2024年 06月 2024年 05月 2024年 04月 2024年 03月 2024年 02月 2024年 01月 2023年 12月 2023年 11月 2023年 10月 2023年 09月 2023年 08月 2023年 07月 2023年 06月 2023年 05月 2023年 04月 2023年 03月 2023年 02月 2023年 01月 2022年 12月 2022年 11月 2022年 10月 2022年 09月 2022年 08月 2022年 07月 2022年 06月 2022年 05月 2022年 04月 2022年 03月 2022年 02月 2022年 01月 2021年 12月 2021年 11月 2021年 10月 2021年 09月 2021年 08月 2021年 07月 2021年 06月 2021年 05月 2021年 04月 2021年 03月 2021年 02月 2021年 01月 2020年 12月 2020年 11月 2020年 10月 2020年 09月 2020年 08月 2020年 07月 2020年 06月 2020年 05月 2020年 04月 2020年 03月 2020年 02月 2020年 01月 2019年 12月 2019年 11月 2019年 10月 2019年 09月 2019年 08月 2019年 07月 2019年 06月 2019年 05月 2019年 04月 2019年 03月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 2018年 06月 2018年 05月 2018年 04月 2018年 03月 2018年 02月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 検索
画像一覧
|
いま思えばですが。世界が最も輝いていた年、1969年。
僕は、高校1年生だった。作家村上龍は、高校3年生だった。 その作家の追憶から生まれた作品「69」。僕の最も愛する小説であり、 僕のことを知りたかったら村上龍の「69」を読んでくれよ、 あの小説の主人公は、僕です。と言って憚らなかった。 それっくらい強いシンパシーを抱いている。 思うに村上龍は、日本人社会特有の横並び意識、 閉鎖的ムラ体質が、嫌で嫌で たまらない人間なのだろう。 もう、よーく分かります。 分かり過ぎるほど分かっちゃう。 だって、僕自身が、そうなんだもん。 ホント、大ッ嫌いだ。よくまあ、 みなさんは、平気でいられますね。 窒息死しちゃうぜ。 だから、確信を持って言える。 村上龍は、その代表だ。 思いを巡らせば、ホリエモンも そうだったに違いない。 グローバリゼーション。僕らにとって、それは、干天の慈雨だった。 夢中で飛びついたさ。それが、とんでもねえ虚偽だとは知る由もなく。 ホリエモンは、おっ沈だ。村上龍は、日本人社会の旧弊を憎む余り、 新自由主義者の謗りを受けかねない位置に、今も止まっている。 想像力が権力を奪うと高らかに歌い上げた作品「69」の著者が、 想像力の欠片もないTV番組「カンブリア宮殿」のホストと 同一人物だなんて、たちの悪い冗談だぜ。 村上龍の熱心な読者であった僕は、当然の如く、彼が編集長を務める メルマガ「JMM」を早くから購読していたのだが、そんな次第で、 最近は、送られて来るそばから削除している。それが、久しぶりに 読み応えのある記事にぶつかった。マスゴミはもちろん、ブログでも、 まず絶対にお目に掛かれない意見だ。 編集長村上龍の設問に、金融経済の専門家たちが寄稿した、 回答の中の一つです。コピペしてお届けします。 僕は「Love&Peace」、魂の解放を求める人間だから、こういう意見 ってゆうか考え方、感じ方に、心惹かれる。あなたは、どうですか。 Q:746 民主党は、「格差是正」を軸に政府・与党との対決姿勢を強調する方針のようです。 民主党の格差是正案は現実的なものなのでしょうか。 A:「21世紀の階級闘争」 いまとなっては古臭い言葉(もしかしたら死語)になってしまったのでしょうが、 格差問題という新しい言葉を突き詰めて考えていった場合、最後にやはりそこに突き 当たる言葉は「階級」の問題であり、格差問題を根本的に是正しようとする努力は、 「階級闘争」という穏やかではない言葉を蘇らせる可能性を持つと思います。 勿論、格差について言えば、それは階級というよりは、階層の分化の問題であり、 中産階層が崩壊し、2極化なのか3極化なのか、あるいは多極化なのか分からないも のの、明確な階層格差が生じ始めた、ということを言っているのでしょう。 しかし、重要なのは、格差が格差を再生産するという問題であり、環境が教育の機 会を奪い貧困が固定化するその先にあるのは、やはり階級という言葉だと思います。 民主党が革命政党である筈がないという意味では、民主党の提示するものは、微温 的な対症療法ということになるので、そのような療法で、例えば鎮痛剤を投与されて 痛みそのものを忘れ、激しい怒りそのものも忘れる、ということが、下層階層に生き る人々にとっての本当の福音かどうかは分かりません。寧ろ(危機待望論という訳で はありませんが)格差が定着し、格差が再生産される構造そのものに知的に目を向け る怒れる青年たちが増えれば、構造そのものを破壊する強烈な衝動が生まれ、それが 何かの触媒を通じて政治的な動きにまで発展すれば、心配せずとも社会は変革される というシナリオの方が、体制の豚(笑)になるよりはずっと彼らにとっての福音であ る可能性があります。 ただ、ここで問題なのは、50年代や60年代には存在した触媒としてのマルキシ ズムが、2000年を超えた現在この時に、悪い冗談としてしか存在しない(或いは そのように見える)ことだと思います。 それよりは刹那的な、例えば永遠に暴走族であり続け、土曜の夜のあのガスの臭 い、騒音、なによりそこにいた友達の感触、にこそ自分の人生の本質があった、と思 い続ける人生や、中学や高校の時に燃えた部活にこそ、甲子園なんて夢のまた夢だっ たけど、暗いグランドでそれでも楽しくて白球を追った、みんなが高2の秋に部活を 辞めて受験勉強を始めても、高3の夏まで部活をやり通した、二回戦の工業高校戦、 4回裏に追いついた時のあの歓喜、8回に突き放され負けた時、とにかく泣けた、み んなが泣いた、あそこにこそ自分の人生の本質があった、と思い続ける人生の方が、 実感として我々の時代を象徴しているように思います。それは先日の団塊の議論に通 じますが、青春が人生の全てであり、一生かけて青春を生きることが、人生であると いうような神話が支配した20世紀後半の西側先進国各国大衆の実態ではないでしょ うか(勿論、それは中産階級が社会の大勢を占めることこそが、経済発展の前提であ った工業化社会での、中産階級の生き方というものかも知れませんし、知価・情報化 ・サービス化社会では中産階級の崩壊が逆に必然になるという命題が導かれるのかも 知れませんが)。 ところで、格差が再生産されるということについては、私自身実感としてその正し さを感じております。 私の父は私が小学3年生の頃、長く勤めた静岡銀行を辞め、それからは私が大学を 出るまで4回の転職を繰り返しました。勿論、転職の度に企業は限界的になってい き、相当程度の貧困を家族は経験したと思います。また、退職のたび失業保険で暮ら す時間があったので、中学、高校の実感で言えば、失業保険で暮らしていた時間が長 かったと思います。 彼が3回目の失業をしたのは私が高校生の頃で、昭和一桁、旧満州国末端官吏で あった彼はもう相当に年齢も嵩み、私が学校から帰ると内職をしている母を手伝うで もなく、暗い表情で写経をしていました。そんな彼を随分長く見ていた記憶がありま す。私自身、部活を中途半端に辞め、中心になって作った草野球チームを放ってまた 部活に戻ったため、級友から完全に孤立して精神的に打ちのめされていたこともあっ て混乱していた時期でしたので、親父が失業した時はもうこれで全部終わりだ、と絶 望感に駆られたのを覚えています。写経をし、夜になると酒を呑んで母や私に絡んで くる父に対し私も荒れていたのでかっとなると殴ってこたえたりしていました(タカ &トシ風に「家庭内暴力か!」)。 それ以上に現実的に金の問題があって、周りの級友のように受験勉強にいそしむと いう感じは全くありませんでした。どうでもいいや、という感じと、それでも誰か分 かってくれよ、と自分自身を捨てきれない気持ちの狭間で悩んでいたのが、私の青春 (「団塊か!」)だったと思います(金という意味では日本育英会には本当に感謝し ています)。 私がなんとか自覚的に人生を立て直そうと思ったのは、社会に出て伴侶を得て、最 初の子供が生まれた頃で、環境というのはそれ位、人生に影響を与えるものだと思い ます。勿論、それは個人的な強さ、弱さの問題でもあると思います。ただ、物語の世 界ではなく現実を考えれば、貧しさは前向きに人生に立ち向かう意欲を若い人間から 奪い去る方向に作用するものだし、それ以上に父親の姿が未来の自分の姿に感じられ てしまうことが、自暴自棄的な感情を若い人間のどこかに育むことは否定しようがな いと思います。 ただ、逆に確率論的には、そのような貧困をきちんとした知性で社会全体の問題と して捉え、失敗した父親を反面教師として成長できる何人かは、政策の力ではなく自 分の力で階層を越えることができるでしょうし、その更に何人かは、言葉や理屈を見 つけ、仲間を束ね、社会そのものを変革する運動の主体者に成長するでしょう。問題 は、何度も繰り返しますが、それがマルキシズムではないことで(マルクスの再発見 というシナリオはあるかも知れませんが)、なかなか簡単な答えがなく、変革を誘う 理屈がなく運動が立ち現れないことでしょう。オウムも、創成時のメンバーの心情と しては、実はそのような流れの中で試みられた運動だったのかも知れません。しか し、いずれ我々が思いもよらなかった形で新しい言葉が生まれる可能性を否定するこ とはできないと思います。 いま光のなかで笑っている奴等を、いつか必ず追い詰めてやる、と暗い情熱を持っ て格差社会で味わった苦悩を政治的・社会的な運動にまで高め、社会自体の変革を指 導する人間が、逆に格差の中から現れて来る、その可能性にこそ、微温的な対症療法 以上に私自身は魅力を感じます。 ![]() あなたも、太陽の下で。 権力を奪う、想像力を。
by blog-blues
| 2007-01-31 16:45
| 文学の風
|
Trackback(34)
|
Comments(10)
こんにちは。
私も村上龍が好き“だった”のでJMMをとっていますが、最近は読まずに捨てることが多いです。先週(だったかな?)のホワイトカラー・エグゼンプションに関する専門家の意見は「上から目線」のものが多くてウンザリしました。 でもたまにこんな光るものがあるんですよね。だから解除せずにいるんでしょうけど。 なんか元気出てきました。ありがとうございます。
0
やあ、薫姐さんも、やはりそうでしたか。僕もご同様。1年位前かな、郵政民営化関連の設問で、外資の参入について、プロ野球における外国人選手の忌避みたいなものでナンセンスであるなんて回答が寄せられていて、それを読んで以来、『読まずに捨てることが多いです。』金融経済の専門家なんて勝ち組ばっか。そんな連中にだけ回答を求めんなよ、村上龍よ!今回の設問に対する答えも、てんで詰まらんかった。その中で、これだけは、まったく違っていた。えらく文学的な回答で、激しくそそられた。ひょっとして、村上龍も?「半島を出よ」の次回作は、これをヒントにするかも知れませんねえ。
こんにちは.
私もJMM取ってますが,お二人と同じような状況です.村上龍が好きでなくなったのか,経済が好きでなくなったのか,,, そういえば昔,何でもかんでも『経済合理性』で説明しようとしているのに対して,違うんじゃないですか?ってメール送った覚えがあります.
「はじめの一歩」へ。こんにちは。おっ、昔の名前で出ています、ですね。いやー、どうしちゃったんでしょうねえ、村上龍は。酒鬼薔薇事件を論考した「寂しい国の殺人」を文藝春秋に発表したときは、もはや一小説家ではない、村上龍は、現代の日本文学界を代表する文学者だと認識したんですけどねえ。最近の精神の肥満ぶりは、まったくたるんどる!
兄貴、こんばんわ。私も村上龍、むちゃくちゃ好きです(でした……と過去形で語りそうになってしまうのが辛かったりする)。メルマガは読んでないんですけど、紹介してもらった「21世紀の階級闘争」いいね。
いつか、必ず追いつめてやる。昨日も今日もそう思い、おそらくは明日もそう思う。ゴマカシばかりの世界で、それでも最後の1人になっても「ノン」と言い続けたい。そうでなくちゃあ、何で産まれてきたのと聞かれたときに絶句するじゃんか、です。国なんか正直、どうでもいい。滅びたってかまやしない。亡国の民になったってかまやしねえ、対症療法よりも根源的な変革の志を!(すんません、酔ってる)。
「華氏451度」へ。やあ、こんにちは。ね、いいでしょ。「21世紀の階級闘争」。これを書いた人は、金融経済の専門家で今は勝ち組にいるけれども、心の底に虚無と熱狂を抱えている。その真実が文章から伝わって来る。実にブンガクしてるよね。シビれちゃった。♪〜いくらブタ箱の臭いマズいめしが うまくなったところで〜それで自由になったのかい〜 ♪〜夜の校舎窓ガラス壊して回った〜この支配からの卒業〜 こうした反逆の精神を僕らが失ってしまったもんだから、為政者・権力者はすっかり油断して、やりたい放題の言いたい放題なんだろう。
今晩は。bluesさん。TB有り難うございます。
でも、僕、村上さん、突っ込み不足と思いますね。というか、村上さんの「揺れ」と似たもの、僕も持っていますよ。混乱のカオスを避けるためには、独裁やむなし。これが左右とわず、政治家・指導者の常識的見解です。その中でどれだけ、多様性を確保していくか。しかも他国と協調しつつ、警戒も怠らない。企業経営者にも、考え無しの人間多いですけど、真摯に考えている方もやはりいます。官僚にもね。むしろ労組の方が、頼んないくらいです。まあ一概には言えませんが。 またいつかその辺も書きますわ。 ほなまた~。
「いわいわブレーク」へ。コメント、いただきましたが、文意が不明です。僕のエントリーに対するものとは到底思えません。TBにつづいてコメントまで寄せられるほど関心を持ってくださったのなら、もう少し丁寧にお読みください。
今晩は。bluesさん。
>文意が不明です。僕のエントリーに対するものとは到底思えません アリャ~、分かりにくかったですか?すみません。 エエと、そうですね、村上龍さんが「揺れている」というのは、金融グローバリズムと如何に闘うか、全く無知だと、やられっぱなしだし、かといってミイラ取りがミイラになってもいけないし~、っていう意味です。 「混乱のカオスを避けるためには、独裁やむなし」 これは、イラクのやユーゴの内戦を想定しての話です。独裁者を切れば、それで全て上手く行くわけではない、むしろバラバラな党派が個々に持っている、武器を好き勝手に使用して、もっとえげつなくなることを、覚めた常識持っている健全な政治家や宗教家はみんな知っているということです。 村上龍さんが悩んでらしゃるのも、そういった階級闘争(政治的秩序作り)と芸術的な自由表現の荒々しさ・繊細さに関する難しさ そういった辺りかな?と、つまり、ただのノスタルジックな回想ではないだろうなって、思いましたんで・・。 ではまた~。
「いわいわブレーク」へ。コメント、いただきましたが、またも文意不明です。僕のエントリーに対するものじゃないでしょう。自説を展開したいのなら、ご自分のブログでどうぞ。「21世紀の階級闘争」は村上龍が書いた文章ではありませんし、あなたは村上作品を読み込んでるとも思えない。「JMM」を読んでるとも思えない。僕のエントリーも正しく読んでない。トンチンカンなコメントは、次回からはソッコー、削除します。あしからず。
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ファン申請 |
||