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国民の多くが女系天皇容認というが、本当だろうか。とても信じられない。
郵政民営化と同様、政府、マスコミが一体となったプロパガンダに、事の本質を 目隠しされたまま、口当たりのよい言葉に乗せられているのではないだろうか。 女系容認は、「奪われる日本」ということにならないだろうか。 日本を隷属化させようとする米国の意志を感じるのは、僕だけじゃないはずだ。 ![]() 確たる論理は持ち合わせてはいませんが、僕は、神道好きの国家神道嫌い。 文化としての天皇制「いいんじゃないの」、 政治としての天皇制「ぜったいにイヤ」というスタンスです。 女系天皇となれば、政治としての天皇制は、その可能性を絶たれるでしょうが、 同時に、文化としての天皇制も崩れてしまうのではないでしょうか。
by blog-blues
| 2005-12-05 19:49
| ニュースの時間
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Trackback(10)
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Comments(13)
離婚できないんですよね。
それは認めてあげたらいいのに。
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コメント、ありがとうございます。
土俵に女性は上がれないんですよね。それは認めてあげたらいいのに。梨園は世襲制なんですよね。それは民主的といえないのに。 どうなんでしょう。僕も分かりませんが、個有の文化は、近代的合理主義では計れないものなのではないでしょうか。
こんにちは
男系主義では、側室を認めない限り世襲は破綻します。歴代の半数が側室の子であり、それでも、男系の危機が数回あり、それを宮家の遠縁でしのいだのです。側室を廃止した時点で女系への世襲は、仮に敗戦がなくとも、いつかやってくる出来事であったはずですが、ほぼ100年間誰も議論してこなかったのです。女系であっても、晩婚化が進んでいますから、世襲の危機もいつかやってきますけど...
続き
もちろん医療の発達と宮家の増加で、明治の当時は楽観的であったと思いますが... それはともかく、 現状では、天皇制存続のためには、女系への世襲を認める以外にありません。その上で、男系維持の可能性のある解決案は1つしかなく(西尾幹二は3つあげていますが)内親王か女王殿下に旧宮家からお婿さんをもらい、宮家を創設することです。女性皇族が宮家を創設するということ=女系への継承容認 でなければ、結婚の相手がきわめて限定されますから、女系容認はやはり妥当な線だろうと思えます。 しかし、 長子優先には、ですから違和感を持つ人も多いですね。男子が生まれたら、男子への継承でいいのではないか、と考える人が多いわけです。その男子が男系であれば、丸く収まるというものですね。 三笠宮様などは、女系容認を否定的に考えるのではなく、ご自分の娘さんに男系男子のお婿さんをもらって、三笠宮家を継承することを考えないといけないんじゃないかと思いますけど...
コメント、ありがとうございます。
いいんですよ、女系天皇でも。文化としての天皇制が護られるならば。僕が腑に落ちないのは、文化論が全然出て来ないところなんです。天皇制の問題を西欧近代思想や科学だけで論じていいものか。疑問です。で、その疑問は日本国民なら僕同様、みんな持ってんじゃないかと思うのですが。例によって、マスコミが取り上げない。なんだかなあ。日本の皇室をアングロサクソン好みに変えようとする意図があるんじゃないかと。
長くなるので、TBさせてもらって、あらたに記事をアップしました。
文化としての天皇制を護る・・・これには賛成です。価値観が多様なので、どうすれば、文化としての天皇制をまもれるのか? ここは、難しいところですね。 ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
文化としての天皇制を護るという論議が起きない。たぶん、それは「文化としての天皇制」の実態が、もはや国民とは無縁だからでは、と思います。
神道というものが、明治維新で作り替えられてしまい、終戦でも、おかしな形でしか、復元が出来なかっし、文化としての天皇制も、明治維新と戦後に大きく変質してしまったんじゃないかと思います。 戦後の天皇の文化的な意味は、制度によるものではなく、個人によるもで、徳仁が父や祖父のような存在になるとは、誰も考えられないでしょう。 現在の「文化としての天皇制」は、結局、宮中行事だけしか残っていないし、それは、国民とは無縁の存在ですし、結局、論議の対象にさえならないのでは。 文化としての天皇制は、外交プロトコルに則って、雛人形の並び方が一斉に変わったくらいの時点で、もはや国民とは無縁のものになったということかと思います。 文化としての天皇制を護るには、政治としての天皇制を廃止し、天皇が国民と無縁にならないと、論議の対象にならないんじゃないかと思います。
文化としての天皇制は私もいいと思いますが、「万世一系の天皇」という主張には?です。そんな事、証明出来ますか?
それに、今までの側室の数から子孫の数を考えたらとっくに日本中親戚ですよ。ですから別に女系でも男系でもいいですから文化を守っていけばいいと思いますが。この問題はそのうち私も書きたいと思っています。
コメント、ありがとうございます。
「文化としての天皇制を護る」という観点からの論議がなきまま、皇統制度が変更へと向かっていることに、危惧を覚えております。 僕は、およそ宗教心のない人間で宗教全般が好きくない。強いて言えば、神道がいちばんいいかな、って感覚です。全然不案内ですが、なんてったって、八百万の神ですから。で、国家神道、これは別物だと思ってます。こんな都々逸のパロディを以前つくりました。♪〜国家神道が神道ならば創価学会も仏のうち〜
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