昭和32年製作公開の日活映画。脚本石原慎太郎。

監督篠田正浩、脚本寺山修司の松竹ヌーベルヴァーグに先行し凌駕している。
戦後なお残る、封建遺制をぶち壊す、アプレゲールのスタイリッシュな作品。
石原慎太郎を全否定する、革命のかの字もない、お体裁だけの左翼より、
慎太郎は遥かに革命的だった。その真実を、社会の底辺に生まれ、
呻き続けて生きて来たからこそ、感得できた私小説作家、
西村賢太の慎太郎礼賛に、僕は、共鳴する。
本当に、今日只今の、日本における左翼って、何なの。
激動の政局で、全くまるっきり、影もかたちもないぜ。
何故、それほどまで、体たらくとなってしまったのか。
西村賢太の言葉を引用すれば、その言動行動に「身体性」が、ないからだ。
ベネズエラの左翼全体主義政権に、身命を賭して抗議の声を上げ、
ノーベル平和賞を受賞した政治家に、一言も言及しない。これが、
右翼全体主義に抗議の声を上げた政治家ならば、声を限りに言及したであろう。
今日只今の、日本における左翼って、何なの。全体主義を憎む気持ちがないんだ。
あるのは、左翼か、右翼か、それだけ、なんだ。虚しいぜ。
草津町のとてつもない冤罪事件。社民党の福島瑞穂は、大椿ゆうこは、
冤罪に加担しながら、今に至るも、一言の謝罪もない。そのくせ、この二人は、
いつも、いつだって、人権尊重を、声を限りに訴える。
自民党との連立条件に、維新が、比例区代表の国会議員削減を申し出た。
自民党は受け入れ、社民党は消滅するだろう。同情の余地はない。
なんで、真っ当に、戦後民主主義を信奉し、
戦後民主主義こそが、自分を育ててくれた、
あの素晴らしい戦後民主主義を、もう一度、蘇らせようと訴える、
ラサール石井を先頭に立てないのか。立てないどころか、助っ人外人扱いするのか。
それって「党プロパーファースト」だぜ、メンタリティにおいて「日本人ファースト」と、
寸分も違わねえ。寸分も違わねえってことすら、思い至らないのだろう。で、
参政党を排外主義だと批判し、共生こそ大事だと、得々と説く。
そんなクソのような社民党なら、消滅するがいい、逝ってよし。
映画『俺は待ってるぜ』は、男から女へのラブコールだと、誰もが、思うだろうが。
違うんだ、ゴドー待ちなんだ。待っているのは「ああ陶酔のときよ来い」。ランボーか。
序盤の裕次郎と北原三枝の台詞の応酬なんて、完全にディスカッションドラマ。
松竹ヌーベルヴァーグをぶっちぎり、ゴダール映画に迫るほどの鮮烈。
痺れてしまう。慎太郎シナリオ、実存主義してるぜ。
政権で言えば、北欧の国々ような社会民主主義政権を、俺は待ってるのだが。
それも、きっと、ゴドー待ち、なんだろうな。