昭和30年代に製作公開された、日活映画お得意の、
子どもを主人公とした、戦後日本ど貧乏ブサヨ映画の一作、
陽のあたらない名画である。

邦画ファンを自認する僕では、あるが。
前回エントリの『サムライの子』も、本作も、未見どころか、
題名さえも知りませんでした。
ただ、子どもを主人公とした、戦後日本ど貧乏ブサヨ映画が大好きで、
今村昌平『にあんちゃん 』、大島渚『愛と希望の街』、
浦山桐郎『キューポラのある街』を三大傑作と確信し、折に触れ、
その素晴らしさを吹聴してきた。
まだ、在ったんですね。もっと、在るかも。
感想は、全作に、共通している。貧しく悲惨だ。
有り得ないほど、貧しく悲惨だ。だが、豊かなんです。美しいんです。
何故か。その正体もまた、全作に、共通している。
戦後民主主義の理想を追い求めた、作品だからだ。
戦後民主主義とは、何か。人間は平等だ、貧乏はいけない、
貧乏をなくそう。それが、戦後民主主義の一丁目一番地だった。
だからこそ、日本は、奇跡の戦後復興を遂げ、
一億総中流とまで謳われた、人類史上稀な平等社会を実現した。
本作を、観よう。父親が失踪し、母親が病死し、継父が事故で重傷を負うという、
どん底に突き落とされた、主人公の小学生の兄と、まだ年端もゆかぬその妹に、
社会的な救いの手が、差し伸べられるのだ、幸運にも。
もしも、その幸運の手が、兄妹に差し伸べられなかったなら。
兄は、日活映画最後のヒットシリーズ、無頼シリーズの人斬り五郎だ。
妹は、無頼シリーズの設定のように、幼くして病死しただろう。
無頼シリーズを企画製作した日活首脳陣の脳裏に、本作があったのではないか。
脚本宮内婦貴子、初めて聞く名だった。
監督森永健次郎、歌謡映画を撮る御用監督としてしか認識してなかった。
だが、本作に接したいま、僕の中で、その名は刻まれた。
掛け値なしの名画であり、それを世に問うた、優れた映画作家として。
人間の幸不幸の大半は、運不運である。それを少しでも是正しようとしたのが、
戦後民主主義なのだ。なんて美しい政治思想だろう。僕はそのおかげで、
貧乏から縁遠くなり、戦争とは全く無縁の人生を過ごして来られた。
その戦後民主主義を否定し、ブサヨと罵倒し、
「美しい国、日本を取り戻す」と主張しているのが、
高市早苗であり、櫻井よしこであり、百田百樹である。
彼らは、生活保護家庭に石を投げつけ、専守防衛の国是を嗤う。
どうして、そんなことができるのだろうか。人でなし、なのか。
彼らに、同調しては、ならない。日本が「醜い国、日本に堕ちていく」からだ。
本作を、観よ。その真実に、誰もが気づくであろう。
アマゾンプライムで、視聴できます。