
見はじめた途端、メゲてしまう。
役作り云々以前に、発声訓練ができてなく、
台詞が聞き取れない。それでも職業俳優かと。
前回は、それでリモコンのスイッチを切ってしまった。
U-NEXTで観てんじゃねえよ、映画館なら聞き取れるぜ、
なのだろうか。そんなことはないと思うけどなあ。
全盛期の日本映画は、映画館でもU-NEXTでも鑑賞しているが、
主役から端役に至るまで、同じようにちゃんと聞き取れるもの。
どうしたんだ、僕の愛する日本映画は。
映画産業としては壊滅してしまったのだから、
比べて論ずるのは酷に過ぎるかもしれないか。
今回は、少し辛抱して見続けたら、女相撲のシーンになった。
取組を何番も何番も映し出すのだが、これが素晴らしい。
社会から排除され行き場を失い、女相撲に懸ける外ない、
裸一貫の存在の懸命さを、女優陣が文字通り体を張って演じる。
ここから、技術的な未熟さは、僕のなかで問題にならなくなった。
本作に懸ける映画人たちの熱量が、僕を圧倒してしまったのだ。
歌詞なんて聞き取れる必要はないんだよ。
ロックの場合はね。ー ルー・リード
多分、順録りではないだろうか。女相撲のシーンで、
それを登場人物として見物していた男優陣にも、スイッチが入ったのだ。
ぐつぐつと映画は熱を帯びてゆく。神代辰巳作品のような粘着の映画熱。
その粘着の正体は、女相撲の女たちとギロチン社の男たちの、
狂おしいまでの自由への希求、それが叶わぬ足掻き、悶えなのだろう。
浜辺での乱舞シーンの美しさ切なさは、どうだ。僕の胸の裡に、
神代映画の最高作『恋人たちは濡れた』の馬跳びシーンが過る。
居ても立っても居られないぜ。これが、ロックだ、ブルーズだ。
下掲は、9月10日付毎日新聞日曜版。

令和の若者よ、非正規雇用者よ、革命上等じゃねえのか。
怒れよ、悔しがれよ、虐げられて、従順でいられっかよ。
ギロチン社の若者は、無政府主義者を気取ってるだけで、
戯けたならず者ではあるが、それでも、怒れる若者たちだったぜ。