全盛を誇った東映任侠映画の掉尾を飾り得なかった、悲運の名作。
昭和47年暮れ、東映の正月映画第一弾として封切られた。
僕は、浪人生時代、ロードショー館で観ている。

本作の特徴は、時代設定にある。
他の任侠映画が、明治大正昭和の初めなのに対し、
日中戦争の渦中なのだ。
召集され、戦地で武勲を立て帰還した、金筋やくざ鶴田浩二が、
軍と結託し勢力を拡げる新興暴力団に、体を張って抗う。
軍のお偉いさんと暴力団の親玉が遊興に耽ける、
料亭の座敷に乗り込んだ鶴田の啖呵が胸を空く。
農民の田畑を力づくで召し上げようとする軍に、
「軍の工場建設も大事でしょうが、戦地の兵隊は米を食ってるんです。
米を作るのも立派なご奉公ではないでしょうか」と毅然として訴え、
「貴様はアカか!」と怒鳴る軍人に、一転、鋭く対峙、
「てめえら、自分たちの気に食わねえもんには、なんだってアカだ、
ふん、やくざ者のアカなんて、聞いたこともねえや」
花の山下耕作、本作では、風に揺れる秋桜。
ヒロイン松尾嘉代の健気さが、感涙を誘う。
「楽しみにしてた温泉、とうとう行けなくなってしまったなあ」
「好いんだよ、あんたがそう言ってくれただけで、
あたしはもう、行ったも同じなんだから」
♪〜庭の隅っこ木の根っこ ひとに隠れてひっそり咲いた
名さえ知らない日蔭花 去年と同じ秋が来て
今年も俺の俺の心に 突き刺さる
映画のクライマックス、単身殴り込んだ鶴田浩二に、
暴力団の親玉天津敏が言い放つ、
「小鉄、よく来たな、と言いてえところだが、そんなのは、
今どき流行らねえな、黴臭くって、鼻持ちならねえや」
ここで、観客席から笑いが漏れた、そうだという共感の笑い。
明けて48年、第二弾として『仁義なき戦い』が封切られた。
大ヒットを記録し、実録映画が、任侠映画に取って代わった。
無残だった。任侠映画が描き続けたヒロイズムは、
失笑とともに、幕を閉じた。
僕は、高校1年の頃から、東映任侠映画を観てきた。
僕の精神形成に、大きな影響を与えてくれた作品群。
「汚ねえ真似しやがって、てめえ、それでも人間か、死んで貰うぜ」
喝采を送った。僕ばかりじゃない、
当時の日本国民の多くが送ったんだ。その頃の日本は、
当時を生きた僕は断言する、めっちゃ面白かった。
そして、豊かだった。恥の精神文化が、遺ってた。
山下監督とのコンビで、数々の任侠映画の名作を作り上げた、
脚本家笠原和夫は、綺麗事のフィクションの任侠には飽きた、
社会の実相は、仁義なき戦いだろうと、実録路線に転向した。
それから半世紀、日本は、美しくない国へと堕ちてしまった。
安倍晋三を想起せよ、高市早苗を見よ、汚ねえ真似ばかりだ。
汚ねえ真似をしても、それでも咎められないのが、権力だと。
そして、今の国民の多くは、それを批判せず、是認するのだ。
そりゃ、あんまりだ、世の中、真っ暗闇じゃござんせんかと、
怒りを向ける正義漢はいない、いても、ええカッコしいと嘲られる。
仁義なき戦いとは、弱肉強食の謂である。
それが社会の実相だとして、それを諒としてしまうのか。
否、弱きを扶け強きを挫く、それを希求してこそ、人間じゃないのか。
「任侠」の二文字であろう、日本を立て直すのに、大切なものは。