著者は、滔天の思想を、レノンのイマジンであると。
ロケンローラーである僕は、そう読んだ。

大アジア主義者として、一般には知られる滔天を、
否、その思想は、大アジア主義を超えているのだと。
本書の白眉は、第十章「夢みるひと」であろう。
当章にて、著者は、滔天の発言を引き、斯く記す。
滔天はー 政治革命と社会革命の一致を現代革命の特徴とし、
経済上の不平等の打破、土地公有、帝国主義的軍備拡張反対、
反戦平和といった要求を、かならずしも脈絡は明確でないにせよ
はっきりと掲げている。
滔天はー 中国革命を現実の政治問題、すなわち国際政治の状況や
日本の国益の見地、いや中国の国益の見地からさえ見ることを
拒否するのである。では彼の見地はどこにあるのか。
人類すべて「不羈自由の真民」たらしめる、そのために一切の
制限抑圧を撤廃するというのが彼の見地である。
この制限のなかにはむろん国境も含まれる。
滔天はー ”夢みるひと”であった。彼はその夢を実現可能な、
明確に限定されたかたちに縮小させることがどうしてもできなかった。
そのように縮小することによって人ははじめて現実政治上の勝利者、
成功者となるのであろう。だがそのとき彼の夢みたものの本質は
かならず破壊される。
♪~You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
滔天は一人じゃなかった。レノンは一人じゃなかった。
滔天は浪花節語りになった。レノンはロケンローラーだった。
現実政治上の勝利者、成功者にはなれない、魂の持ち主だったのだろう。
前々回エントリでは『北一輝』を取り上げた。
なぜ今、渡辺京二なのか。今年の正月、NHK教育で、
昨年末逝去した、氏の足跡を逐った番組が放送され、視聴したのだ。
番組内で、水俣闘争が徹底糾弾派と和解派に分断される危機に陥ったとき、
全存在を懸けてこれを阻止すると檄を飛ばした。それに対し、
闘争に参加していた熊大生が、全存在なんて懸けられませんと口を挟んだ。
氏は、小賢しいことを言うな!これは浪花節なんだと一喝した。
僕は、劇しく感動した。
氏は、薄っぺらい体裁だけはもっともな、いわゆる市民感覚ってやつが、
大っ嫌いなのだろう。そして、その由って来たる、
西欧近代のブルジョアデモクラシーに、異を唱える。
西欧近代のブルジョアデモクラシーを絶対善とする世界に、叛旗を翻す。
渡辺京二、読むべし。