織田作之助賞に、これほど相応しい受賞作もない。
浪花っ子の意地と張りを描いて、堪能させられる。

題名の通り、かの井原西鶴の一代記である。
西鶴はその名声に対し、経歴はほとんど不明であり、
ただ、盲目の娘がいたらしいことが、伝わっている。
作家は、この史実に着眼、娘おあいの父西鶴への眼差しにより、
物語を、紡いでみせた。見事な趣向に、唸ってしまいます。
阿蘭陀西鶴とは、何か。西鶴の自称、
セールストークである。新奇、異端を以って任ずる標榜、
阿蘭陀はその換喩、コピーライターとしても、
超優秀だったことが、この一事で解りますね。
俳諧師として世に出た西鶴の、阿蘭陀流の最初の発露が、
矢数俳諧。一昼夜で幾つ作れるか、即吟の速さ量を競う。
駄句を幾つ作ろうが価値がない、あなたは、そう思うか。
西鶴の最高記録は、二万三千五百句である。24時間内に。
僕はこの故事を知っていた。凄いと、魂消た。
因みに、現代の俳人に作らせてごらんなさいな、
十分の一の二千句だって、断言してもいい、作れないだろう。
百分の一の二百句だって、難しいだろう。
なぜ、何千何万もの矢数俳諧が可能なのか、
その文芸の秘密も、西鶴の言葉として、
本作には記されている。文芸好きには、堪えられない。
もちろん、物語の佳境は、俳諧師西鶴ではない。
浮世草子の創始者西鶴である。
処女作『好色一代男』を構想、執筆、出版するあたりから、
俄然、小説の展開も熱を帯びる。
同時代の松尾芭蕉、近松門左衛門らが登場し、
さながら元禄文芸水滸伝の趣。
両人への批評も西鶴の言葉として語られ、
その評言が、同時に、西鶴作品の髄を、伝える。
名もなき庶民の、どっこい生きてるぜという、
意地と張り、反骨精神に彩られた人生賛歌である。
芭蕉の寂、近松の哀、それに対する、西鶴の活。
叶わぬ夢ではあるが、
川島雄三監督による、映画化を熱望してやまない。
タイトルは外題の『元禄太陽傳』も捨てがたいが、
やはり、原作通り『阿蘭陀西鶴』で。