戦争の夏、日本の夏。
監督山下耕作、脚本笠原和夫。
東映任侠映画の黄金コンビによる戦争映画、
尤も脚本家は、監督大島渚を望んでいたという。
笠原和夫、やくざである。金筋の、やくざである。
畏れ多くも畏くも、昭和天皇の戦争責任を、真っ向から問うた。
昭和49年の作品である。当時、そんな作品を発表すれば、
上映中止どころか、天皇陛下万歳の右翼民族派から、テロられる。
それが、右翼も手放しで称賛する作品となった。なぜか。

特攻隊の生みの親とされた、大西瀧治郎が主人公であり、
戦時中、大西の腹心であり、海軍御用達ブローカーであった、
その経歴にものを言わせ戦後右翼の巨魁となった、
児玉誉士夫を劇中、思いっきりヨイショしたからなのね。
どうしても、昭和天皇の戦争責任を戦後の世に問いたい、
作家であり職人である笠原和夫の、苦心の筋書であろう。
映画公開から2年も経たぬうちに、ロッキード事件が起こり、
怒りに震えた反米新右翼は、児玉邸へセスナ機で特攻、散華した。
本作で大スター小林旭が演じ、物凄くカッコ好く描かれた、
児玉誉士夫が、こともあろうに、仇敵である米国ロッキード社から、
巨額の賄賂を貰っていたなんて、本物の愛国者なら、
怒髪天を衝くのも、当然であろう。
右翼で、従米なぞ、金輪際有り得ないはずだ。
しかも、統一教会と、癒着しているのである。
特攻の英霊に対し、恥ずかしくないのか。
映画は、特攻という非道極まる作戦が、なぜ採用され、
多くの特攻隊員が進んで志願したのか。その根本に、
天皇絶対主義があり、その主義に殉じた隊員の死があるのなら、
昭和天皇は、その責を取らなければならない、それが道義だと、
劇しく詰め寄る。
徹底抗戦あるのみ。戦争は、国民が望んではじめたのではない、
国家がはじめたものだ。ならば、国家元首である昭和天皇自ら、
本土上陸する米軍に突撃敢行し、玉砕してこそ、
はじめて敗戦といえるのであり、新しい国家は、
生き残った国民の手に委ねればいいと、鶴田浩二演じる、
大西瀧治郎に、言わせるのである。
笠原和夫、革命家である。金筋の、革命家である。
公開された作品は生煮え、軍人だけを描いており、
国民が描かれていないと、批判された笠原和夫は、
あのー、この作品はですねえ、ええい、だったら、
国民にとって戦争とはなんだったのか、描いてやろうじゃないかと、
本作の次に『大日本帝国』を執筆する。