安倍晋三が、国葬される。
吉田茂、以来である。
小出氏の意見具申は、もちろん、留保はあるが、
テロを容認するものと、受け止められるものであろう。

山上容疑者は、家庭を崩壊させ、自分の人生を奪った統一教会を、
社会悪として憎み、これに復讐せんと、統一教会の普及に力を発揮した、
安倍元総理に、復讐の銃弾を、向けた。
山上容疑者の犯行は、政治思想絡みでない故、狭義のテロではないが、
全くの私怨とも言い難く、広義のテロに当たるのではないかと考える。
この事件の解明は、果たして、
統一教会が、社会悪であったのか。
安倍元総理が、社会悪の一味であったのか。
その真偽であろう。
僕は、統一教会は、社会悪であり、
安倍元総理は、社会悪の一味であった、と、判断する。
テロ、ダメ。ゼッタイ。
それは、なぜなのか。
何人も(なんびと、と読んでくださいね)、如何なる理由があれ、
人を殺すことは許されない、からであろう。
ならば、死刑も、ダメ。ゼッタイ。となる。
論理とは、そのように、厳しいものであるはずだ。
否、死刑は、罪に対する罰であり、例外だと訴えるなら、
安倍元総理に罪はないのか、が、問われるだろう。
論理とは、そのように、厳しいものであるはずだ。
否、仮に、安倍元総理に、罪があったとしても、
それを罰せられるのは、民主主義国家に於いて、司法のみであると、
主張される向きがあろう、実に全く、その通りである。
然し、司法に対し安倍元総理が、これを支配してる場合は、どうか。
罪に対する罰は、与えられない。ならば、
司法に代わって罰を下す、天に代わって成敗する、
そうした思想が生まれるのも、あるのではないか。
歴史上、そうした思想が生まれ、成功失敗に関わらず、
多くの人々が、実行犯に対し、一掬の涙を注いできた。
風蕭々として易水寒し壮士一度去って復還らず
祖国ドイツが存亡の危機に瀕した時、
愛国者たちは、ヒトラー暗殺を企て、実行した。
テロ、ダメ。ゼッタイ。
だろうか?
論理とは、そのように、厳しいものであるはずだ。
大衆向けの小説、映画、演劇を繙けば、
復讐劇のオンパレードである。そこには、
人々の心の琴線に触れる何かが、きっと、あったのだろう。
忠臣蔵は、日本人の最も好む演目である。
然るに、西部邁の愛弟子を以って任じる中島岳志、
全共闘世代で新左翼運動に与していた内田樹、
レーニン主義者の白井聡、当代の言論人が、
揃いも揃って、腑抜け。
テロ、ダメ。ゼッタイ。である。
山上容疑者に、一掬の涙を注ぐ日本人は、
小出裕章氏だけである。あまりに寂しいから、
僕は、小出氏の列に、繋がろうと思う。
僕が贔屓する、毎日新聞の小国記者に、
FAXを送った。取り上げて、くれるだろうか。