変死である。司法解剖されるのだろうか。
僕の無責任な憶測ではあるが、
石原慎太郎を慕う西村賢太が、一人通夜の酒を酌んで、
深酒の余り、日頃の不摂生がたたり、急死したのでは、ないかと。
読売新聞に掲載されたという、慎太郎逝去に寄せた、
西村賢太の追悼文が、胸を打つ。
反安倍、反自民の意見を果敢にツイートしている映画評論家、
町田智浩は、慎太郎逝去に即し、こう述べている。
ー石原慎太郎が「太陽の季節」を書かなかったなら、
中平康が「狂った果実」を映画化することはなく、
中平康が「狂った果実」を映画化することがなかったなら、
ヌーヴェルヴァーグは生まれなかっただろうー
これは、映画史に於ける事実である。どれほど、アンチ慎太郎であろうと、
事実は、事実だ。否定しては、ならないだろう。
石原慎太郎のほうが、安倍晋三より、はるかに、マシである。
そりゃそうだろ、芥川賞作家だもの、日本語の読み書きは、常人以上にできる。
日本語の読み書きさえ、ろくすっぽできない、安倍晋三とは比べ物にならない。
然るに、自民党に於いては、安倍晋三は絶対的な権力を握り、
石原慎太郎は、遂に、傍流にあり続けた。そんな馬鹿なことがあってたまるか。
安倍一強へのレジスタンスが、かつての政敵、田中角栄へのオマージュとなった、
「天才」を書かせたのだと思う。
石原慎太郎は戦後世代、アプレゲールの代表選手である。
戦後の若者へ向けて「狼生きろ豚は死ね」と、鮮烈な檄を放った。
そのイデオローグが、文学から政治へと向かい、牙を失い、豚として死んだ。
僕もまた、西村賢太と同様、政治家石原慎太郎には、毫も興味を持てないが、
芥川賞作家石原慎太郎の出現が、日本社会から、それはまた封建的遺制でもあった、
「古き良き日本」を揺るがせたことに、深い感慨を抱く。