社会学的には「男女平等」だろう。
これに異議を唱えるのは、タリバンか、
選択制夫婦別姓に頑なに反対する、
自民党総裁候補高市早苗、くらいなものだろう。
もしも仮に、高市総裁になったなら、女性有権者は、
金輪際、自民党に、投票してはならない。
高市総裁は、女性の敵である、女性を「嫁」という地位に、
留めておきたい、女性解放の、敵である。
もちろん、
♪~わからないの教えて いけないとき叱ってね
ため息が出るほど やさしいあなた
あかねの雲流れる 日暮れの空見上げて
瞳をうるませる ときもあるの
幼い頃から憧れた その名かわいいお嫁さん
お耳に口よせて 甘く今日もささやく
あなたが好きだから お嫁に来たのよ~
って、好いと思う。という女性は、旦那の姓に、入れば好いのである。
選択制、なのである。然るに、高市候補は、その選択権を否定するのである。
こいつは、女の敵だ、間違いなく、女の敵、である。
然し、生物学的には、どうか。「男女平等」では、ないのではないか。
性愛の局面を思い起こしてほしい。誰が、どう思い起こしたって、
男は、やる側であり、女は、やられる側である。
互いの性器の構造が、そうなっている限り、これはもう、如何しようもない。
然し、桐野夏生は、そう考えない。それは、不公平だと、考える。
僕は、桐野夏生の小説を読んで、打ち震えるよ。

桐野夏生は、桐野夏生描くヒロインは、男を、やってしまうのだ。
デビュー作『顔に降りかかる雨』以来の女探偵シリーズの主人公、
村野ミロは、初作で親友の恋人と寝るのである。
続編では、アダルトビデオの監督と寝るのである。
シリーズ最終作の本作では、自分を薬物強姦した相手を殺し、
妊娠させられた子を出産し、育てようと決意するラストシーンが用意される。
桐野夏生にとって、桐野夏生描くヒロインにとって、
男は、存在しないのである。男という存在を、否定する。
それを以ってしか、「男女平等」など、実現しないと、
覚悟を決めている、フェミニズムの極北である。
我れ狂か愚か知らず。
革命家って、そいう人間を、指すのだろう。
桐野夏生は、革命家だ。凄い、と評する外ない。