人間的営みの最たるものである性愛を、
戦争の真っ只中に、屹立させることで、
戦争の非人間性を剔抉する、迫真の傑作小説。

作家桐野夏生の、企みが凄い。
戦中戦後を駆け抜けた女文士、
林芙美子の「未発表原稿」なのである、小説が。
戦争協力者として悪名高い林芙美子が、
朝日新聞の特派員として南方戦線へ従軍した、その回想記。
当然、林芙美子の一人称。イタコと化した、桐野夏生による口寄せ。
読者は、その迫真の筆致に思わず、えっ、
そうだったのかと、新発見した気になる。
創作の「未発表原稿」が、戦争協力者の悪名を雪ぐのだ。
同時に、男狂いの悪名を、これでもかと決定付けもする。
情交場面の描写は、まるで神代辰巳映画のよう。
激しく官能的であればあるほど、痛切さが増す。
芙美子の激情を駆り立てるのは、
戦争が、あるからだ。命の危険が、あるからだ。
戦没死の恐怖だけではない、不倫の道行き相手は、
スパイの嫌疑が掛けられ、芙美子には四六時中憲兵が付き纏う。
作家先生と煽てられながらも、軍御用達の文章しか紡げない、
精神の自由を雁字搦めにされた、奴隷の境遇。脱する術はない。
道行き相手との情交だけが、刹那、すべてを忘れさせてくれる。
しかしそれすら、官憲の網の目の中という屈辱と恐怖。
個人の自由と尊厳を蹂躙して止まない戦争悪に、慄く。
それは、文名を高めるため日中戦争で従軍一番乗りを果たした、
自らが蒔いた種だと痛恨し、不倫相手からも面罵される。
愛し合いながら憎しみ合い、憎しみ合いながら愛し合う。
ビリー・ホリディの『ラバーマン』かよ、
エディット・ピアフの『愛の讃歌』かよ。
激情だけが人生だ。林芙美子も桐野夏生も、
そう覚悟を決めた。痺れるほどカッコ好い、
ナニカアル 、女だ。