作家は、炭鉱のカナリアである。
この言い古された警句を劇しく感じさせる、問題作。

ぜひ、ぜひ、ぜひ、マスコミ記者に、読んでほしい。
もちろん、読んでいると思う。感じるとこがあろう。
いいのか、このままで、いいのか、このまま放っておけば、
日本は、近い将来、この作品で描かれたような社会になる。
否、すでに、なりかかっているのでは。
公序イコール体制にとって、好ましからざる作品を発表した作家は、
匿名読者からの告発により、総務省文化局文化文芸倫理向上委員会、
通称「ブンリン」から召喚を受け、強制収容所にて、
思想矯正の訓練を受けることに、なるのだ。
僕が、マスコミ記者なら、この小説の感想を、
日本学術会議の政府任命から外され、その是非を問うために、
敢えて特任連携会員就任を拒否した加藤陽子に、突撃取材するだろう。
問われているのは、性根で、ある。土性骨で、ある。
一個の人間として、己の思想信条、否、そんなに高尚なものじゃない、
気に入らないないものを、気に入りませんねと、突っ撥ねる、
自分は自分だという、自我、であろう。
しかし、人間は、弱い。飴と鞭で、転向を強いられ、
自我を、通せるか。とても、通せない。
小説は、その真実を、リアルに書き綴る。
主人公は泣き叫び、公序イコール体制に許しを乞い、転向を誓う。
それに対して、強制収容所のボスは、宣う。
「転向って小林多喜二の時代じゃないんだから、
そんな大時代なことを言わないでください。人聞きが悪い」
今の日本は、ファシズムに、なりかかっている。
たちが悪いのは、それが、小林多喜二の時代ではない、
一見そうとは見えない、が、ゆえに、じわりじわりと侵食されていく、
ソフトファシズムの時代だって、ことだ。
そのことを、桐野夏生は、痛感している。
声を上げて鳴いている、カナリアである。