大したものである。
肝っ玉の小さい、そして情勢を見極められない、
無能で鈍感な男どもが、その権勢に恐れをなし、
「余人をもって代え難い」などと後々のおこぼれに、
預かりたいがために阿諛追従していたのに対し。
ここぞというタイミングで、勝負手を放った。
自身の力で権力を奪取する気概などさらさらなく、
ただただ既成の権力に阿ることによって出世階段を昇ろうとする、
無能で鈍感な男どもと、小池百合子は、まったく存在を異にする。
自らの手で権力を奪取する気概に満ち、その機会を、虎視眈々と、
狙っているのである。返り血を浴びる覚悟は、とうに決めている。
小池百合子という女性を考えるとき、僕は、
スキャンダル小説として世に知れた、
三島由紀夫の問題作『宴のあと』のヒロイン、
福沢かづを、想起せずにはいられない。
世界的文豪は、作中のヒロインを、こう活写する。
ー何か天の恵みによって、男性的な果断と
女性的な盲ら滅法の情熱とを一身に兼ねそなえたこういう女は、
男よりももっと遠くまで行くことができるのだ。
ーあいつは今にえらいことをやるだろう。
日本を引っくりかえせといえば、それもやりかねない。
男なら風雲児と云われるところを、
女だからやり手と云われるくらいですんでしまう。
どうです、小池百合子、みたいでしょ。
日本の政治リーダーが、
日本語の読み書きも満足にできない、
安倍晋三や菅義偉しかいないのなら、
小池百合子のほうが、ずっとマシだ。
小池百合子は、自らの言葉で自らの政治思想を語れる、
政治家である。野党に政権奪取の能力がないのならば、
小池百合子総理で、いいじゃん。少なくとも今よりは。