江戸時代ならもちろん、戦前の軍国日本でも、
腹を切って詫びねばならない。それが、侍というものだ。
花は桜木人は武士、潔さを最高の美徳とする侍精神こそ、
日本を日本たらしめる、精神文化である。
森喜朗は、旧青嵐会の出身であり、自他共に認める、
大和魂、武士道を崇め奉る、愛国の士であったはず。
なぜ、のうのうと、東京五輪組織委の長に止まり続けるのか。
ま、大和魂だの、武士道だの、愛国などと声高に宣う者ほど、
卑怯未練な、日本男児の風上にも置けない下衆だというのは、
大東亜戦争を主導した、辻政信や牟田口廉也の、
敗戦後の恥ずべき所業を鑑みれば、今更ではあるが。
森喜朗の発言は、女性蔑視などではない。
空気を読め、口を挟むな、黙って従えという、
権力を振りかざした恫喝である。
で、情けないことに、大多数の男たちは、
空気を読み、口を挟まず、黙って従う、意気地なしである。
その象徴が、JOC会長の山下泰裕である。
でかい図体して、性根の一欠片もない。
それに対し、少なからぬ女たちは、意気地なしではない。
空気を破り、おかしいと思うことはおかしいと、堂々口にする。
その象徴が、JOC平理事の山口香である。
森喜朗は、そうした存在が、嫌いなのである。
許せないと、思っているのである。
自らの存在を脅かす敵として、怖れているのである。
なんという情けない男であろうか。
あまりの小物ぶりに嗤うほかない。
一体誰が、こんな奴を、要職に就けたのであろう。
時の総理大臣、安倍晋三、だってさ。なるほどね。
類は友を呼ぶ、破廉恥は破廉恥を呼ぶ。