バイリンガルだったからに違いない。
クールでシャープな日米比較社会論で僕を驚嘆させた、
片岡義男の近著を読んだ。
ザ・ビートルズ、ボブ・ディラン、エルヴィス・プレスリーのDVD31枚を視聴し、
31編の感想文を書き綴った、ロックファン必読の一冊です。
見逃せないのが、本文に添付された87枚の写真。
新刊購入などままならぬ下流老人生活の身ですが、
これはもう、購わないわけにはいかないじゃないっすか。
プレスリーは、まだ年端もいかない頃、
TV番組の「ザ・ヒットパレード」で、日本人のロカビリー歌手が、
訳詞交じりに歌ってたのを聞いてただけなので、僕には遠い存在。
ビートルズを意識したのは、小学6年の時、来日騒動のニュースの中で。
思春期に達してなかったせいかも知れない、それほど強い衝撃は覚えなかった。
「ザ・ヒットパレード」の延長線上にある音楽と、その時は感じた。
のちに、日本でもTV放映された「マジカル・ミステリー・ツアー」は、
リアルタイムで視聴、めっちゃ面白かった。まるで別人28号、
ロックはアートだ、その真実を満天下に示した、パフォーマンスだった。
その間に何が起こったか。ロック史は伝える、
ビートルズがディランを、知ったからだと。
ディランを初めて聴いたのは、ラジオの深夜放送から流れてきた、
「風に吹かれて」。中2の秋だ。英詞を聞き取るなんて、とてもできない、
それでも、僕は、英詞を追いかけていた。そういう聴き方をした。
俺の音楽は、言葉だ。ディランがそうメッセージしてるのを、
直感で捉えたからだと思う。
カッケー!圧倒的に、カッコよかった。すぐに真似した。
フォークギターを買い、教則本を買い、
課題曲に載っていた「風に吹かれて」をコピーした。
爾来、今に至る。
僕のファーストインプレッションは、外れていなかった。
片岡義男は、こう書く。渡米し「エド・サリヴァン・ショー」に出演した、
ビートルズについての1編。本書の白眉だと思う。
ーSomething for everybody.というこの番組の方針を、
ザ・ビートルズはきれいに体現している。(中略)
Something for everybody.を日本語で言うなら、
ご家族みんなで楽しめる、とでもなるだろう。
ご家族みんなとは、保守の見本ではないか。そのような雰囲気を出せ、
と番組のほうがザ・ビートルズに強く求めたのではない。
ザ・ビートルズが番組の雰囲気に自分たちを無理に合わせたのでもない。
パーラフォンからデビューしてアメリカ公演にいたるまでのザ・ビートルズは、
そもそもこのような中道的な雰囲気を持っていた。
彼らはそのような人たちだった。
(中略)
1963年にボブ・ディランがこのショーに出演することになり、
スタジオでリハーサルを始めたとき、
『トーキン・ジョン・バーチ・パラノイド・ブルース』という歌は歌わないように、
とエドそしてCBSから言われた。ディランは即座にスタジオをあとにし、
番組に出演することはなかった。