7月30日付夕刊である。
小国綾子といえば「水俣と福島」の記事でも感銘を受けた。
僕を毎日贔屓にする、すぐれた新聞記者である。
選挙が終わった途端、れいわ新選組についてマスコミが語り出す。
選挙期間中に、なんで語ってくれなかったんだよ、恨みはあるが。
語りたかったんだろうな、そりゃ人間だもの、あの選挙演説に接して、
胸が熱くならないほうが、おかしい。後は、勇気だよ。
ジャーナリストに最も求められるべき資質は、勇気だ。
れいわ新選組の、山本太郎の、訴えは、
中島みゆきの「生きていてもいいですか」であり、
友川かずきの「生きていると言ってみろ」である。
選挙の街頭演説で、そんな訴えをする政治家を、初めてみた。
衝撃と感動以外の何物でもない。小国綾子も衝撃を受け、感動した。
それを素直に綴っている。好記事である。
「野党共闘」を錦の御旗にする「市民派」が、
れいわ新選組を、山本太郎を、裏切り者呼ばわりしている。
どうしてなのか、僕には、解らない。
何のための野党共闘なのか、安倍政権を打倒するためだろ。
なぜ、安倍政権を打倒しなくてはならないのか。
死ぬか生きるかの瀬戸際に立たされている、
貧乏人ほぼイコール体制順応不適格者を、救うためだろ。
国民民主党が、立憲民主党が、
貧乏人ほぼイコール体制順応不適格者を、救えますか。
救えっこねえよ。仮に安倍政権を倒して、政権を握ったとしても、だ。
象徴的な例を一つ出そう。
今回の参院選挙の東京選挙区の立憲民主党2番目の候補者は、
山岸一生という人だった。この人の選挙ポスターの文字情報は、
「元朝日新聞記者」「筑駒中高・東大法学部卒」「37歳」これだけだった。
そこには、虐げられた、それでも生きていくしかない、
数は多いが存在はマイノリティでしかない、
弱い人間に対する、慈しみなど、微塵もない。
れいわ新選組は、国民民主党にはもちろん、
立憲民主党にも譲歩する必要など、さらさらない。
彼らをかき口説け。そして、それが叶わぬときは、単身殴り込みだ。
そして、できれば、共産党は「ご一緒させていただきます」と、
加勢してほしい。花田秀次郎、風間重吉の風花コンビのように。
なぜなら、れいわ新選組の戦いは、
金融資本主義から人間の尊厳を奪い返す、戦いだからだ。
左翼の戦いであるからだ。ガチ左翼の戦いであるからだ。
もうね、「金持ち父さん・貧乏父さん」なんていう価値観は、
まっぴら。人間が死んでしまう。生きていても、死んじまう。