♪~政府発表垂れ流す NHKはアベ様の犬HK
したい放題 アベっち“愛国”ロック~
そのNHKが、深夜ではあるが、オンエアした。
マーチン・スコセッシ監督による、音楽ドキュメンタリー映画。
ディランは、圧倒的にフォークで、ある。
で、あるが、フォークでは、ないのである。
世に、星の数ほど、フォークシンガーはいるが、
そんな奴は、独りもいない。ディラン、だけである。
圧倒的にフォークであるというのは、
本人がいくら否定しようとも、歌詞の人であるってことだ。
本人が言うように、その歌のすべては、プロテストソングである。
プロテストの対象が、具象的か抽象的か、それだけの違いである。
然るに、ウディ・ガスリーやピート・シーガーとは、画然としている。
その違いは、なんだろう。僕が思うに、ビートの有無ではないかしら。
プロテストの対象が、体制そのものであり、反体制ではなく、脱体制。
当時、ハイティーンの僕がシビれたのも、そこだよ。
ガスリーやシーガーを聴いても、
ケルアックやギンズバークを想起することはない。だが、
ディランを聴けば、どうしたって、ビート詩人へと、想いは飛ぶ。
フォークの先達にはなくて、ビート詩人にあるもの。それは、なにか?
ビートニック、実存主義という思想っていうか、心性ではなかったか。
今、若者たちが苦しんでいるのも、僕の青春時代、
世界中の若者たちを席巻した、実存主義が、消えてなくなったからだ。
実存主義は、いいよ。自由に、やれよって、ことなんだ。
♪~ひとに好かれて いい子になって
落ちてゆくときゃ 独りじゃないか
おれの墓場は おいらが探す
そうだ その気で行こうじゃないか
実存主義とは、この歌詞の通り、おのれ独りを恃む、やせ我慢のことだ。
ね、カッコいいっしょ。僕がハイティーンの頃の日本は、こうだったの。
生活の安定と引き換えに、会社組織への服従を求められる、
正社員へのアンチテーゼとして「脱サラ」が持て囃されて、
「泳げタイヤキくん」てな歌が大流行。国中が、活気に満ちていたのさ。
だから、一億総中流なんていう、人類史上空前の奇跡も生まれたんだよ。
前川喜平が当たり前で、佐川宣寿なんて、最低の男と蔑まれていたんだ。
どうか、このことを、わかってほしい。
空気を読むのではなくて、自分の足で立つのが、カッコよかったんだよ。
僕は今でも、自分の足で立っている。そうさ、ディラン・チルドレンさ。