僕が読んだのは、中央公論から出た半世紀も前の旧著だが、
それしか図書館になかったのね。あちゃ。ワーキングプアはつらいよ。
復刻本が最近刊行され、その編集には、僕が学生時代、交番にペタペタ
指名手配写真が貼られていた「滝田修」があたっているらしい。
副題が「元特攻隊員が託した戦後日本への願い」。
本の帯には「最もよく戦った者が最も強く平和を願う」とあり、
ー著者は青春のすべてを大東亜戦争に投じた。
回天特攻隊の一兵士として二度出撃し二度生還した。
そして、彼は問わずにはおれなかった。
あの戦争から未来へと歴史をつなぐとしたら、
その道はどこをどう通ればよいのか、と。
自らが発した問いの答えを求めて問いつづける情熱、
その祈りにも似た思索の姿、それが本書だーと続く。
読んで、驚きました。往年の新京都学派俊英の主張が、
能天気なロケンローラー「BLOG BLUES」の訴えと、
通底してるんです。ホントだってば。
どんなもんだいと、ちょっと自慢したい気分。
レベルはね、そりゃ月と鼈。当たり前だのクラッカー。
キモは「あの戦争から未来へと歴史をつなぐとしたら、
その道はどこをどう通ればよいのか」という問い掛けにある。
それにはまず、あの戦争から、目を逸らさないことだ。
上山春平が、右翼の専売特許とされ、左翼からは非難囂々の
「大東亜戦争」の呼称を掲げたのも、それゆえのこと。
大島渚もまた、自作の戦争ドキュメンタリーにおいて、
「大東亜戦争」と題した。僕は、こういう態度に、
思索する者の知性と誠実を感じる。
ポツダム宣言もロクすっぽ読んでないアベっちなど、
痴れ者以外の何者でもなく、アホのうえに、不誠実である。
もちろん、上山春平は「大東亜戦争」史観を、否定している。
学徒出陣の特攻兵士として、自存自衛の戦いと信じることで、
身命を捨てる覚悟を決めた自己を、苦悶の末、否定している。
同時に、上山春平は「太平洋戦争」史観も、否定している。
さらに、「帝国主義戦争」史観も、否定している。
そこに、正義の美名に粉飾された、大国のエゴの虚偽性を嗅ぎ、
その本質に於いて、「大東亜戦争」史観と変わらぬと指弾する。
そして、主権国家を超えゆく国際国家を展望し、
憲法第九条こそは、そのマイルスートンであると説く。
いやー、春平先生、カッケー!それって、
レノンの「イマジン」っすよ。
哲学者である著者の書物は、これまで読んでいませんでしたが、
島尾敏雄の「出孤島記」や大岡昇平の「レイテ戦記」、
水木しげるの「総員、玉砕せよ」などの小説、漫画を読み、
さらに、上山春平を主人公にしたともいえる、
松林宗恵監督の映画「人間魚雷回天」も観ている。
従軍体験から生まれた、すぐれた文芸作品に接し、
そのリアリズムに、震撼し、劇しく感動してきたので、
もう頭を垂れるしかないのだ。
僕は「戦争を知らない子どもたち」だが、
僕がそういう存在でいられたのは、この方々が悲惨な戦争を
戦い抜いた、そのおかげなんだと思わずにはいられない。
特攻ですよ、玉砕ですよ。できますか、そんなこと。
だから、米軍は恐かったというか、気味悪かったと思うよ。
殺しても殺しても向かってくるんだもの。
それで、日本を永久武装解除した。それが、憲法第九条だ。
けだし、大東亜戦争の遺産にほかならない。
血まみれなんだよ、九条は。だから、圧倒的に尊い。
これを蔑ろにする改憲勢力は、英霊の敵である。歴史の敵である。
ぶっ飛ばしてくれるぜ。6月20日、土曜の昼下がり、お茶の水で。

*会場受付で「BLOG BLUESを見て来た」と言えば、
前売料金で入場できます。