シューマンのCD、買っちゃいましたよ。
CD購入は、約3年ぶりである。ワーキングプアはつらいよ。
最近ずっと、奥泉光を読み続けている。
一時期、「石の来歴」で芥川賞を受賞した頃、よく読んでいて、
いつからか、ぱったり読まなくなっていた。それが、
「東京自叙伝」の評判を聞きつけ、久しぶりに手に取ったら、
あら、まあ。いかにも純文学然とした、デビュー当時の重厚な作風から、
文体メタモルフォーゼしまくりの筒井康隆風にヘンシンしていた。
あれよあれよという間に読了し、どっぷり新・奥泉ワールドに嵌った。
「軍艦橿原殺人事件」「グランドミステリー」「浪漫的な行軍の記録」
「モーダルな事象」「桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活」「同・黄色い水着」
「坊ちゃん忍者幕末見聞録」「鳥類学者のファンタジア」「シューマンの指」と、
予約本が用意されましたと図書館からメールが届くたびに、読み進んでいる。
「鳥類学者のファンタジア」を読み終えた時は、実に四半世紀ぶりに、
自宅のステレオ装置のテーンテーブルに、パーカーが載った。
で、シューマンは、一枚も持ってなかったので、買い求めたってわけです。
奥泉光の文章は、喚起力がべらぼうに高い。当代随一ではないだろうか。
その力業は、文豪の名に値する。月給手取り10万の貧乏准教授クワコーが
生きんがためにする節約自炊料理ですら、食欲をそそるんですから。
ジャズ演奏の魅力を綴った「鳥類学者のファンタジア」、
シューマンの作品論に分け入った「シューマンの指」を読んで、
音楽好きの心が疼かないわけがない。本の中で音楽が鳴ってるんです。
リビドーが沸き立つ。これは、もう、体験するしかない。
で、小説の冒頭に叙された、ピアノ協奏曲イ短調に狙いを定め、
リパッティ/カラヤン盤を聴いてみた。ドーシーララーという
聞き覚えのある主題が、劇しく胸を貫く。吹きくる風が私に云う。
甘美にして痛切。音楽によるこれほどのメランコリーは、
ドルフィーの「あなたは愛って何だか知らない」、
エヴァンスの「ダニーボーイ」と並ぶ、自分史上最高のものだ。
ピアノ協奏曲は、内田光子のモーツァルト選集をBOXで持っているのですが、
それより、好い。モーツァルトの美しさは天上の美で、ひれ伏すしかないのだが、
シューマンの美は生身の美しさ。ミューズのそれではなく、不完全なのだ。
執拗に変奏されるのは、実存的な寂しさの顕われであり、狂おしく愛おしい。
きっと、あらかじめ何かが失われた人だったのだろう。
もう、にわかシューマニアーナと化し、毎晩、聴き溺れている。
小説「シューマンの指」の魅力と欠陥については、
独文学者のこの一文が、余すところなく伝えている。