広重ブルーとか、赤の時代のピカソとか、
色で呼ばれたら、絵描きとして、一時代を画した証しである。
石田徹也の場合は、どうか。もう、灰色しか思い浮かばぬ。
後世、きっと「徹也グレー」と呼ばれるね。
戦後日本絵画史に屹立する、特異な画風であり、
文学における啄木や中也や太宰や寺山のように、
時代を超え、青春を生きる者たちから、強く支持されるだろう。

静岡県立美術館で開催中の「石田徹也展 ノート、夢のしるし」に行ってきました。
自宅と職場を往復するばかりの生活で、通勤電車以外の乗り物には、
ついぞ乗ることなどないのですが、甥っ子の結婚式が愛知県であり、
とんぼ返りはもったいないと、日本平に一日遊んだのでした。
展示作品数百余点。これでもか、これでもか、石田徹也。ってな展覧会。
出口が、ない。へとへとだ。観る者をして、ひたすらドツボにする絵も希有だろう。
エゴン・シーレの自画像だって、どれほど痛ましかろうが、
精神の躍動があるのであって、それが、絵を観る歓びに通じる。
石田徹也の作品には、それが、まったくない。なんてこった。
歌手の友川カズキは「生きてるって言ってみろ」と叫び、聴く者を挑発するが、
石田徹也は、生ける屍をシュールかつハイパーリアリズムで執拗に描き尽くす。
偏執的なまでの、腐った魚の目をした人物の表情。マテリアルの質感。
打ちっぱなしのコンクリートを精細に描いた作品があったのだが、
その無機質感がめっちゃリアルで、胸が痛んでしまった。
んなものを一生懸命描くなよ。あまりに不毛じゃないか。
多分、油絵具では無理だと思う。アクリル絵具ならではの平板な表現。
敢えて、だろう。石田徹也の作品には、絵筆のタッチとか絵具の質感や量感が、
欠落している。だから、原画を観ても印刷物と大して変わらない。ただ原寸というだけだ。
早晩、この画風では、行き詰まりは目に見えている。
油絵具をパレットナイフでキャンバスに塗りたくるほかに、
新たな展開は、なかったのではないか。さすれば、
灰色の時代から、何色の時代になったのか。だが、
絵描きになった一人ぼっちは、その機会を永久に逸したのである。
2005年、踏切事故にて死去。享年31歳、自殺説多し。