実に人間臭いのである。小心で、卑屈で、欲張りで、意地汚く、
およそ美点というものがない。然るに、憎めない。愛しくさえある。
「生きることは、恥ずかしいことです」
この人間の実存的な苦悩を体現しているからであろう。
クワコー、案外、純文学してるかも。
奥泉光。いやー、魂消た。
「ノヴァーリスの引用」や「石の来歴」の頃は、熱心に読んでいたのだが。
その後、ずっとご無沙汰していた。えらく評判になった「東京自叙伝」を
読んで、その変貌ぶりに驚嘆し、狂喜した。ハチャメチャで押し通す勇気あるいは度胸。
で、それが文学的な高みに到達してるんだから、これはもう、筒井康隆以来ですね。
「神器ー軍艦橿原殺人事件」「グランドミステリー」「モーダルな事象」と読み継いで、
たらちね国際大学を舞台とした、どエンタメミステリ、クワコーシリーズへと進んだ。
普通さ、芥川賞作家が、芥川賞選考委員が、この手の安手なものは書かないよ。
奥泉光。なんて、自由なやつなんだ。
マダオあるいは、素人の乱の松本哉いうところのマヌケ、
そこに身を置く、ずぶずぶに浸る、すると、あら不思議、軽くなるのである。
今、生きるのが苦しくてたまらないという人は、クワコーを読むといい。
肩の荷が下りるよ。楽になるよ。自由になるよ。
奥泉光は、極めて生真面目だ。戦争と戦後の日本社会を通観して、
戦死者の無念を想像し続けている。無念な人に対して、とても敏感で優しい。
そのセンシティビリティは、クワコーシリーズにも、ちらり顔をのぞかせる。
シリーズ第2弾、作品としては5作目の「黄色い水着の謎」のラストにおける、
ソクシンのマダオぶりに寄せる、クワコーの限りない愛は、汚れっちまった悲しみだ。
さんざん爆笑させておきながら、胸の裡へ、風が吹き来るのである。
クワコー、案外、純文学してるかも。という所以です。