『未完のレーニン』に続く、白井聡のレーニン研究書である。
大部は、学術的な論考で、はあ、そうなんですかと、
高説を拝聴するばかりであるが。
結論として置かれた最終章
『「モノ」のざわめきから新たなるコミュニズムへ』には、
よーしっ!異議なーしっ!と心の中で拳を突き上げた。
こうした結論が書ける、表現できる、政治思想家が
登場したことは、衝撃であり、希望である。
第一級のイデオローグの誕生に、Yeaaaaah!
白井聡の魅力は、その知力と感性から紡がれる、
言葉つきにある。端的にいえば、アジテーションですね。
映画監督の大島渚は、すぐれて政治思想家的であったが、
政治思想家の白井聡の著作は、すぐれて文芸的なのだ。
意識の底にビンビン響いてくる。ロック的というべきか。
大島渚の言葉に、こういうのがある。
〈肉体が嫌がることをすると精神が歪む〉。
この言葉にピンと来た若い人は、ぜひ本書
『「物質」の蜂起をめざして』を読んでください。
働くということは、多かれ少なかれ、自分を売ることなんだ。
就活なんて、ホント、みじめだろ。自分が可哀想になるだろ。
資本主義の世の中では、僕もあなたも、商品だ。
で、自分を、少しでも高く売りつけようと、高く買ってもらおうと、
頑張るわけですね。あーヤダ、ダッセーっと、思って、当然でしょ。
で、よしんば、高く買ってもらって、幸せになれますか?
白井聡の結論は、こうだ。
〈資本主義社会において、ただのモノは存在しない。
そこでは、われわれに触れるあらゆるモノが、ざわめいている。
あらゆるモノ(さらには人までも)が、「買って、買って」と
わめき、ささやき、こびへつらい、まとわりつく。
これに対して、レーニンの切り拓いた世界においては、モノは、ひたすら
「ぶっきらぼう」であり、「潔く」「清々しい」ものであり得た。(中略)
あらゆるモノにおいて、その固有の輝きが実現されることは、
果たして不可能であろうか。レーニンのテクストが力強く断言しているのは、
それは決して不可能ではない、ということである。
われわれが、「買って、買って」というこの地上を覆い尽くしている
商品のざわめきを離れて、モノそのもののざわめきをはっきりと
聞き取る用意を整えることができるならば、そのときにはきっと、
モノと人との同盟としてのコミュニズムは、あらためて産声を上げるだろう〉。
革命は、時期を待つのではない。つねにアクチュアルなものだ。
金が仇の世の中を尻目に、貧乏人の逆襲を企てる、松本哉の素人の乱は、
モノと人との同盟としてのコミュニズムの産声ではないだろうか。
問題は、僕やあなたが、白井聡や松本哉に、続いて行くか、どうかだ。