巧いなあ。絲山秋子は。どこで、こんなに、人生を勉強したのであろうか。
市井に生きる、平成の貴女を、僕を描いて、身につまされる。
アメリカンニューシネマの世界を、今のニッポンに置いたかのようだ。
なんでこんなに生きづらいのか。生きづらいと感じてる人間への
懸命な応援歌になっている。一言でいえば、連帯を求めて孤立を恐れずってやつか。
かなしくも雄々しい。さびしくも明るい。明日に向って撃つ、やっぱ、ニューシネマだ。
絲山作品は、どれも読後感がいい。何も解決しないのだけれど、
「有漏路より無漏路へ帰るひと休み雨ふらば降れ風ふかば吹け」
ってな気分にしてくれる。
この作家の必殺技は、主人公のモノローグだ。これで引っ張って引っ張って、
読者を作品世界へ攫ってしまう。読者を主人公と同化させてしまう。
その巧さたるや、純文学の中島みゆきか!ってなくらいのものである。
本作は、作家と同じく80年代半ばに大学入学した過激派活動家が主人公。
ちょっと待ってよ、そんな学生いるのか、その時代に。
そんな超マイノリティを主人公に置いた、その設定こそが、
作家のメッセージになっている。この作家は、
生きづらい世の中をすんなり生きていけるような人間には、
興味も関心もないのだ。純文学するって、そうゆうことだろう。
で、作家は。思想以前なんだよな、終っちまった思想なんて、
わかっちゃいるけどやめられなくって、ずるずる20年、
過激派活動家をやってきた主人公を、京都へエスケイプさせちゃう。
面白そうでしょ。もう、ものすごーく面白いの。
主人公が京都で出逢うのは、インチキ外国人神父であり、教会の近所に住む婆ぁさま。
その一期一会が、たまらなくいい。人生の哀歓を痛切に感じさせる。
世の中を背いたことにもならん、まったくまるっきり、ただもう青春を棒に振った
過激派活動家の、これから始まる新たなる、きっとそれも不様になるであろう戦いに
エールを贈って、小説は閉じる。人生は続く。♪~ファイトォ