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日本語を、つまりは日本文化を、ひいては日本を、愛する者にとって
必読の書であろう。水村美苗「日本語が亡びるとき〜英語の世紀の中で」。 本書は、 『私は十二歳で父親の仕事で家族と ともにニューヨークに渡り、それ以 来ずっとアメリカにも英語にもなじ めず、親が娘のためにともってきた 日本語の古い小説ばかり読み日本に 恋いこがれ続け、それでいながらな んと二十年もアメリカに居続けてし まったという経歴の持主』が、日本 語の惨状と存亡の危機に居ても立っ てもいられず、自らのアイデンティ ティを賭して世に問うた、憂国の檄 である。 『人間をある人間たらしめるのは、国家でもなく、血でもなく、その人間が使う言葉である。日本人を日本人たらしめるのは、日本の国家でもなく、日本人の血でもなく、日本語なのである。それも、長い〈書き言葉〉の伝統をもった日本語なのである。〈国語〉こそ可能な限り格差をなくすべきなのである。』 25万語を費やし展開される、スリリングで明晰な 〈普遍語〉〈国語〉〈現地語〉に関する考察と、それに基づく 熱誠の直言は、劇しく心を打ち、存分に知的興奮を味わせてくれる。 著者は〈叡智を求める人〉であり、天は人の上に人をつくるという 悲しい真実を呼び起こさせる。新かなづかいで育った今日びの作家など、 裸足で逃げ出すほかないだろう。米国在住の戦友ともいうべき同性の友人 との酒場での会話が挿入されるが、まさに一刀両断である。こんな具合。 『あたしたちが小さいころ、小説家っていったら、モンのすごく頭がよくって、いろんなことを考えていてーなにしろ、世の中で一番尊敬できる人たちだと思ってたじゃない。それが、今、日本じゃあ、あたしなんかより頭の悪い人たちが書いてるんだから、あんなもん読む気がしない』 いやー、度胸もすごい。「とかくめだかは群れたがる」と言い放った平林たい子 みたいだ。絶滅したはずの「文士」でやんす。千万人といえども我往かんの気概。 トーゼン、熱い魂の持主。日本近代文学の奇跡を称揚しつつ、こんな感想も記す。 『さらには、私の世代が子供のころに読んだ安本末子の「にあんちゃん」などもある。戦後、母を失い、父を失い、兄妹四人だけで残されて大鶴炭鉱で働く韓国人家族の生活を十歳の少女が綴った日記である。見たままを書く、感じたままを書く、だからものを読んだことのない人間でも書けるーというのが〈国語イデオロギー〉の根底にある言語観である。そのような言語観はつまらぬ文章を巷に洪水のように氾濫させる代わりに、美しい心をした子供に宝石のような文章を書かせることがある。〈国語イデオロギー〉のもつ強みは、当時韓国籍であった十歳の少女によって、日本語で花ひらいたのであった。小学生のころ「にあんちゃん」をくり返し読んだ私は、長じてから、果たして自分が書くものがあの感動を与えられるかどうか問い続けることとなった。』 思えば僕自身、漱石も鴎外も一葉も、ほんの一齧りしただけである。 ほとんどまったく読んでない。それで文芸ブログを自称するのであるから、 厚釜しいにもほどがある。物を知らない、恥を知らないってことは、 かくも強いものなのね。う〜ん、マンダム。 英語の世紀の中で、いまさらバイリンガルになれるわけでなし。 名作古典の一通りくらい読んでみなくてはと思いはしたが。旧字旧仮名遣ひの それらを果たして読み通すことができるだろうか。甚だ心もとない。
by blog-blues
| 2009-01-29 14:44
| 文学の風
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Comments(30)
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from みんななかよく
at 2009-01-30 01:43
タイトル : 猫もググれば… 漱石の平和論
「点頭く」という語を検索したら、見つかったURL。 夏目漱石 「点頭録」(青空文庫) http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/4672_8593.html 大正5年の1月に東京都大阪の「朝日新聞」に連載されたものです。 一は漱石個人の感慨が東洋的、禅的想念と共にづ... more
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from ミクロネシアの小さな島・..
at 2009-01-30 06:00
タイトル : カヌーはパラオに到着!
3日前にヤップを出航したカヌー2艇は、今朝、無事にパラオ・マラカル港に入港したそうです。予想どおり、2日とちょっとの旅でした。 (写真は、ヤップ出航前日、マリーナに停泊中のシメヨン・ホクレア-上と、マソー・メラム-下) 未確認情報ですが、シメヨン・ホクレア号がまず昨日(1月28日)の夕方、パラオのマリン・レンジャーに「発見」され、かなり遅れたマソー・メラム号を待ってルーフの外で合流し、本日、日の出を待っての入港だったようです。 パラオ政府はヤップからのこの2艇のカヌーを迎えるために、マリ...... more
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from JCJ神奈川支部ブログ
at 2009-02-02 16:34
タイトル : 竹島 独島問題 日本・韓国共同シンポジウム
竹島/独島問題の平和的解決をめざして 日本・韓国共同シンポジウム シンポジスト 日本 池内 敏(名古屋大学教授) 俵 義文(子どもと教科書全国ネット21事務局長) 韓国 許 英 蘭(ホ・ギ..... more
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from road to true
at 2009-02-02 19:48
タイトル : 「しのびよる破局の中で」
辺見庸氏の思索を取りあげた昨日のETV特集。 くいいるように見た。言葉の一つ一つを聞き漏らすまいと。 こんな風にTVにかじりついたのは久しぶりのことだ。 特に興味深かった言葉。 「(危機といわれる状況の中で)真に取り戻すべきは経済の繁栄なのかどうかは 疑わしい。ではなくて、人間的諸価値の問い直しを迫られているのではないか。 ・・・そのチャンスが与えられたと考えられないだろうか。」 「どうやら資本が深く関わるらしい原発悪が、ほうぼうに遠隔転移して、すべての人のこころにまんべんなく散りひろがった状態...... more
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from 愚樵空論
at 2009-02-03 09:19
タイトル : 左翼とロック
最近非常にお世話になっているアキラさんの最新エントリーから拝借します。 『〈生活世界〉と〈システム〉と「保守」その3』(光るナス) 宮台氏は「60年代の躍動」、つまり日本の左翼的運動に関しぎ..... more
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from コミュニスタ紅星の幡多荘草紙
at 2009-02-12 23:06
タイトル : 秋水忌とJCP幡多旗びらき
1月24日は中村(現四万十市)の生んだ社会主義思想家の先達・幸徳秋水氏が、いわゆる『大逆事件』で刑死した日で、毎年この日には中村山手通にある秋水氏の墓所で墓前祭が行われます。 加えて、偶然なのか...... more
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from 愚樵空論
at 2009-02-17 17:57
タイトル : メロドラマ作家〜水村早苗とマルクス
昨日の『お玉おばさんでもわかる 政治のお話』で、マルクスが取り上げられていました。 取り上げると言ってもそれはお玉さんらしく、 別にお玉共産党員じゃないのに、そんな記事書いたら誤解されちゃう`..... more
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from そいつは帽子だ!
at 2009-02-22 12:11
タイトル : じゅうごのじゆう
巷(ってどこ?)で話題の村上春樹さんの受賞スピーチについて、です http://www.47news.jp/47topics/e/93925.php 何だかまとまらないけど、 いつまでもまとまらなさそうだから、 急いで出したいなと思うとこだけ、出しときます ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆..... more
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from みんななかよく
at 2009-03-03 11:46
タイトル : 漢詩は誰でも作れます
水村美苗さんの本がどうとか、一海知義さんが、加藤周一さんを偲ぶエピソード、加藤さんが古典を日常的に読んでいると語っていたとか、そういう話題を立ち回り先のブログでも見かけます。 朝日新聞の書評に、『漱石の漢詩を読む』という本が取り上げられていたりして、漢詩・... more
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from road to true
at 2009-04-03 21:08
タイトル : 追悼、塩田庄兵衛先生
追悼、塩田庄兵衛先生。 あなたと出会ったのはたった一度。 忘れもしません。 25年前、1984年の9月27日のことでした。 あなたの書いた社会発展史の本からずいぶんとたくさんのことを僕は学びました。 だからその日も楽しみにしていたのです。あなたの特別講義が受けられることを・・ ところがその日の事情が急変、わが母校はたいへんな事態に巻き込まれました。 中曽根首相(当時)がやってくるというニュースがかけめぐったのです。 目的の一つは低温研究所の視察でした。 当時、低温研究所では雪上で戦車がスムーズに...... more
むかし、「日本には大天才はでない」みたいなことを言うインテリさんの文章が、新聞や雑誌に載ったように思います。科学でもそうですけど、文学でも、「日本人、小粒」みたいな前提が感じられた。まあ子どもの頃だからあてになった話ではないけど。(もっとも福田恒存氏が、「今は文学が不毛だというけど、年に一度、ドストエフスキーが出てきたらたまったものじゃない」と警句をいったと、誰かのエッセイでで読んだような気もす
る) それはさておき、子どもから思春期になった頃には、わたしは「日本には天才が出ないかもしれないけど、日本語が天才的な言語だからいいんだい」とこっそり思っていました。何しろ漢字を訓読するなんて、とてつもなくユニークな方法で「国語」を形成してきたのですから。 価値的な上下とは違うとしても、多様性が一つの価値なら、漢字とひらがな、カタカナと、数字以外に3種類の文字を駆使していますからねえ。
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blog-blues at 2009-01-29 16:50
「みんななかよく」へ。早々のコメント、ありがとうございます。いやー、日本語って、本当におもしろいですねえ。車寅次郎じゃないが、燈台の根元は暗い。僕らは『漢字を訓読する』『漢字とひらがな、カタカナと、数字以外に3種類の文字を駆使』それを自明としていますが、人類の言語を見渡したとき、実は、トンデモなくすごいことなんですってね。さすが、ご隠居。『思春期になった頃』から、そのすごさに気づいていらしたんだ。話し言葉でなく、「国語」としての日本語を護り通すには、やっぱ、漢文の素養、これが必要でしょうか。
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suyap at 2009-01-30 05:54
おはようございます。
「人間をある人間たらしめるのは、国家でもなく、血でもなく、その人間が使う言葉である」というのは、私が滅び行くヤップ語を目の当たりにして(そして日本語もね)いつも思うことです。 たた、紹介された文章のみを読んで気になることは、彼女の「日本語至上観」は、ちょいと転ぶと日本「民族」至上主義にも通じるにおいがすること(私の誤解かもしれませんが) 世界には数え切れない「滅びつつある言語=民族」「滅んだ言語=民族」があります。それぞれに日本語と同様、貴重な「民族そのものが共有するメンタリティ」の表現手段を有しているのです。 滅び行く日本語「だけ」を憂えるのではなく、「世界共通言語」によって蹴散らされていく「ローカル言語」と民族、すべてに思いを馳せると、彼女の主張は普遍的になると思います。 ようするに、言いたいことは「種の多様性の尊重」さあ~
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blog-blues at 2009-01-30 14:23
スーちゃんへ。やあ、いらっしゃい。バイリンガルのあなたには、ぜひ読んでほしいと思ったエントリーなんだ。『彼女の「日本語至上観」は、ちょいと転ぶと日本「民族」至上主義にも通じるにおい』それは、あるよ。憂国の檄だからね。ま、アマゾンかなんかで、本書を入手してみてください。著者は、かなり目配りが利いていて、それぞれの国には、それぞれの歴史風土国情がある。私は英語を公用語とした国を民族的誇りを失した国とは決して思わぬと明言しています。そもそもの執筆動機からして、アイオワ大学の国際創作プログラムに日本代表として参加し、それぞれの国の作家がそれぞれの国の言葉で書いている、その事実への感動が基になっています。その上で、西洋に非ざる国で、日本ほど高度な「国語」を持ち得た国はないという、これまた事実を事実として高く評価し、その日本の国語、日本語が英語の世紀の中で亡びて行くのを座して待つのは忍びないと、一人の日本人、日本文学の末裔として、偽らざる憂国の真情を吐露しています。僕は、深く打たれたなあ。ただ、本文にも書いたけど、著者は「叡智を求める人」だからね。僕のような怠惰な凡人は、とてもかなわない。ハハーッ、ってなもんです。
こんにちは。私も(?)ここ40年ほどの日本語の移り変わりは大きいと思っています。私が小さい頃は「文学」と「小説」が分かれていたような気がします。私自身は文学には寄り付けず小説ばかり読んできました。それでもその重さがどんどん軽くなってきているように思います。天野祐吉が「文語体から口語体の時代へ」と言っていたのが印象的です。椎名誠に代表される口語文が画期となり以後発展、展開されてきたのではないかと。それはある意味日本人の姿の表れではないかいう気もします。職人気質でまじめにこつこつと生きてきたころから「気楽に生きるのもいいんじゃないか」を過ぎ、今では「刹那を楽しめ」的な絶望交じりの気分が濃い。文は人なりとすれば、使っている人間により言葉が変わるのも仕方ないことだと思います。言葉を大切にすることで人間を大切にでき、人間を大切にすることなしに意味深い言葉は守れないと、ブルースさんのこの記事を読んで思いました。
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blog-blues at 2009-02-02 13:57
「京都ごろごろ案内」へ。やあ、よくおいでくださいました。大歓迎。もう、僕は、女将の大ファンですから。『言葉を大切にすることで人間を大切にでき、人間を大切にすることなしに意味深い言葉は守れない』ですよね。コメント&リエントリー、ありがとうございます。早速、そちらへ伺って投稿しました。
BLUESさん、お邪魔します。
これ、昨年末にいわゆるアルファブロガーたちの間で話題になってたやつですよね。私も彼らの記事を読んでsuyapさんと同じような感想を抱きました。そして、その感想を確認するためもあって読んでみました。 「日本文学の末裔として、偽らざる憂国の真情を吐露」はホンモノだと思いますし、他言語を尊重する態度も伺えます。しかし私は、水村氏が日本語を滅ぼす側か守る側かと問われたら、滅ぼす側だと答えます。彼女の真情とは別に。 その心は、水村氏の視点が「普遍」という観点に偏りすぎているところにあります。彼女は日本語への愛着を吐露しながらも、読後に受ける印象は「普遍語はとても大切」ということなんです。普遍語の大切さがよく理解できるからこそ、彼女の真情が浮き彫りになる。そういう構造になっています。
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愚樵@つづき
at 2009-02-03 10:58
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しかし私はちょっと待てと思っています。普遍語が大切なのはわかりますが、彼女が心配するほどのことはないだろうと。共通認識が必要な学問等の分野では普遍語の重要性はこれからますます増していくでしょうが、書き手各々の個性が最重要の文学にあっては共通認識よりもまず自己のはずで、ならば、表現者としての才能のある人間ほど母国語にこだわることになるはずなのですね。文学者として日本語を守りたいのであれば、そこを強調して、これから日本語で表現することを志す者たちに安心感を与えて欲しかったと思います。それこそが日本語を守るのだと私は思います。
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blog-blues at 2009-02-03 13:26
「愚樵空論」へ。コメント、ありがとうございます。『水村氏の視点が「普遍」という観点に偏りすぎている』その通りですよ。僕なんて、英語仏語はもちろん、日本語だって「源氏物語」は読めません、文語体の一葉も多分読めない、それどころか、漱石鴎外の旧字旧仮名遣ひだってあやしいくらいだ。著者は、違う。プリンストン大学で日本文学を教え、フランスの文学会で、仏語で研究発表するんだから。「叡智を求める人」であり「普遍語」の重要性を肌身に沁みて識っているのですから。英文学者漱石の苦闘を自分のものとして感じることができる。そんなん、僕、よう感じんわ。もう、ハハーッって平伏するっきゃありませんよ。で、ここからは、僕独自の受け取り方なんだけども。ここ数十年の間に登場して来た作家の書いたもので、あくまで僕が読んだ限りですが、ハハーッって平伏させられる程のものには、出会った記憶がない。それ以前なら、小林秀雄であれなんであれ、枚挙に暇がないほどある。
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blog-blues at 2009-02-03 13:27
(つづく)僕は、たとえ自分はその高見に達し得なくても、聳え立つ高峰を仰ぎみるのは、全然ヤじゃないってゆうと嘘になる、もちろん劣等感にかられますが、やはりそれを上回る感動がある。どうもね、最近の日本社会は、飛び抜けたものが嫌いなんだ。劣等感を突き付けられるからかどうか知りませんが。だから、こんな程度なら自分でも、ってレベルのものがもてはやされる。見渡してみれば、そうでしょ。芸能なんかでもスターや名人上手は拒否され、アイドルやお笑い芸人が求められる。僕は、そうゆう風潮は、精神の衰退だと思う。自分の及ばない高いものがある。それを尊ぶという精神がなくっちゃ。物質文明はいくら栄えても、精神文化は幼稚化を辿るばかりだろう。著者の主張は、まさにそこにあった。僕は、深く同感した。「日本語が亡びるとき」とともに昨年の書評欄を賑わせた著書に長部日出雄の「古事記の真実」があるのですが、これもすこぶる面白くて。『自分の及ばない高いものがある。それを尊ぶという精神』が日本社会から消えていった遠因を、日本国中の町々村々にあった、土地土地の産土神を奉った鎮守の森の消滅に求めている。この考察も、知的興奮を誘いますよお。おすすめ。
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suyap at 2009-02-06 09:18
書き逃げでご無沙汰してましたです。私の住む場所がら、まだブツを読んではおらんのですが…
>西洋に非ざる国で、日本ほど高度な「国語」を持ち得た国はないという、これまた事実を事実として高く評価し、 ↑ ↑ こういうスタンスに非常な恐れを感じます。「高度な国語」とは何か?んじゃ日本の中でもアイヌ語はどうか?高度じゃないから放っておいて良いのか?んじゃ、私が住む島の世界でたった1万人弱しか話していない言語は高度じゃないのか?放っておいて良いのか? 私のこの危惧感は、愚樵さんが指摘されたとおり『日本語への愛着を吐露しながらも、読後に受ける印象は「普遍語はとても大切」』ということを察知してのことかもしれません。
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suyap at 2009-02-06 09:23
続きです。産まれたときから「書き言葉」「文字」のある世界で過ごしている人間にはなかなか気づきにくいことですが、私は「文字」を持つことによって、その文化が失ったものは非常に大きいと感じるようになりました。記録を残すという作業に文字は必要ですが、そもそもそういう「文献」化する過程で、甚大な「記憶」を切り捨て、「普遍化」しているのです。それに気づかないと、いくら「文字」で「種の多様性」の大事さを説いても、まんったくわかっちゃおるめえ、となるわけです。
話は飛躍しますが、沖縄の泡瀬のサンゴ殺しを必要悪とする感性は、同じルーツからきていると思います。
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blog-blues at 2009-02-06 16:46
スーちゃんへ。再コメ、どうもです。『「高度な国語」とは何か?』普遍的な文学的価値、学問的価値を有するということです。僕のブログ文章は、漱石鴎外一葉の文章に比べ、僕にとってはそれらよりも大切なものですし、僕の文章のほうがいいと思ってくれる奇篤な方もおられるかも知れない。そういう方には、チューしちゃいたいくらいですが。ま、普遍的な文学的価値、学問的価値は、横綱とわんぱく相撲でしょう。普遍性を有すものは有さないものより高度と表現しても妥当なはずです。日本語は普遍性を獲得したが、アイヌ語は獲得し得なかった。日本はアイヌを滅ぼしたと同様、事実です。事実は善悪に関係なく事実なのだから、そこはクールに認識したいと僕は思ってる。自分に都合のいい事実だけを見て、都合のわるい事実は見ないのはフェアじゃないと思ってるから。(つづく)
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blog-blues at 2009-02-06 16:47
そして今、英語の強大な普遍性の前に、日本語の普遍性は失われようとしている。普遍性など失われようとかまわない、個別性として、著者の言葉でいえば「現地語」として残ることは確実なのだから、それで好しとする立場も当然ありますよね。普遍性がなんぼのもんじゃい、自分はアイヌ人、アイヌの部族の中で生まれ死んでいくんだ。それで満足なのさ、最高なのさ。それは、その人にとっての真実であり、自由だ。でも、アイヌは狭いなあ、部族の中だけじゃつまらん。世界に通じたいなあ。アイヌ語で世界に通じられたら、どんなにいいかしらん。よーし頑張っちゃうぞと思う人もいて、それは、その人にとっての真実であり、自由だろう。(つづく)
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blog-blues at 2009-02-06 16:58
著者は後者の人間で、そうして頑張った先達がいたおかげで普遍性を獲得した日本語から、その普遍性が失われようとしている。その事態に悲憤慷慨し著した、偽らざる憂国の情、愛国心の発露だと思います。シンキローくんみたいな保守反動と一緒くたにしたら、そりゃミソもクソも同じ、可哀想だ。著者はインターナショナルな人間で、少なくとも文学に於いては、真にインターナショナルなものは、「源氏物語」然り、真にナショナルなものだっていう真実を肌身に沁みて識っている。僕はもう、ハハーッですが、スーちゃんは、多分けったくそわるくなるだろうから、わざわざ取り寄せることはない、かな。
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suyap at 2009-02-06 18:40
長いお返事、どもっ!です。
私はアイヌ語派です。言葉の普遍性なんじゃらというもんは、所詮左脳領域のことで、左脳(言葉)ばっか発達させて右脳との統合性が失われた結果が、今の地球の状況だと思ってます。言葉の普遍性を越えた意識(これ仮のコトバです、仮ね)の普遍性になぜ思い至らないのか?しっかりした普遍的「意識」があれば、それぞれの言語による、その「意識」の表現は普遍性を持つものです。 世界でたった1万人しかしゃべってない言語だって、普遍な意識(あるいは価値または世界観)を語れるのです。問題は、言葉じゃなくて、意識(価値または世界観) アイヌ語(あるいは私の島の言葉)は狭い-と決めつけるそういう世界観こそ、狭いんだわよねえ…
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suyap at 2009-02-06 18:50
駄目押しの続きです。
書いててふと思ったこと、 blog-bluesさんはトーキョーの人? 私は若いころトーキョーさ出てきて、いろんな言葉につっかえました。自分の状態を的確に表してくれる「標準語」が、なかなか見つからない! たとえば、 やれ、たいぎぃのぅ… いまだにこの心身の状態を的確に表してくれる「標準語」を見つけられません。 言葉って、そういうもんです。これが産まれたときから周囲で複数の言語が飛び交ってたら、けっこうしっちゃかめっちゃかするみたい。でも本人にとってはそれが日常なわけで…バイリンガル、トリリンガルと気軽に言うけど、ほんとうは幼児期にしっかりしたひとつの「言語」体系を身につけて、それから他言語を習得することが大切なわけです。 マザータングで論理性を身につけた人は、多言語でも(たとえ発音がつたなくても)立派な論理表現ができるはずです。
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blog-blues at 2009-02-06 19:02
スーちゃんへ。再々のコメント、ありがとうございます。ま、そうゆうテーマ『言葉の普遍性を越えた意識(これ仮のコトバです、仮ね)の普遍性になぜ思い至らないのか?しっかりした普遍的「意識」があれば、それぞれの言語による、その「意識」の表現は普遍性を持つものです。』について考察し書かれたものじゃないんで。あくまで『言葉の普遍性』について考察し書かれたものですので。『アイヌ語(あるいは私の島の言葉)は狭い−と決めつけるそういう世界観こそ、狭いんだわよねえ…』地理の話をしてるとき、日本の国土は狭いというのと同じでんがな。『言葉の普遍性』の話をしてるとき、『世界でたった1万人しかしゃべってない言語』は狭いでしょう。意識の世界性、普遍性っていう話であれば、ネイティブアメリカンの「死ぬにはいい日和だ」なんて、すっごく世界性、普遍性がある。この著者は、はばかりながら、この僕も、そんなアホとちゃうよ。『ほんとうは幼児期にしっかりしたひとつの「言語」体系を身につけて、それから他言語を習得することが大切なわけです。』あのー、著者は、まさに、この通りのことを、それこそ声涙下る調子で力説してるんですがあ。
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suyap at 2009-02-07 10:57
なあんだ、そうだったんですかあ…
『『ほんとうは幼児期にしっかりしたひとつの「言語」体系を身につけて、それから他言語を習得することが大切なわけです。』あのー、著者は、まさに、この通りのことを、それこそ声涙下る調子で力説してるんですがあ。』 だったら、その幼児期の基本言語が、アイヌ語であろうとヤップ語であろうと、同じでんがな。日本語が普遍語どーたらかーたらいうから疑ってしまう。この本はあくまで日本向けに書かれたものであって、普遍書ではないと理解していいですか(爆)。少なくとも、他言語に翻訳するのは、深い意味において無理と思います。ま、原典を読まないであーだらこーだら書くのはもうこれくらいにしときますけど。 >ネイティブアメリカンの「死ぬにはいい日和だ」なんて、すっごく世界性、普遍性がある。この著者は、はばかりながら、この僕も、そんなアホとちゃうよ。 前センテンスと後センテンスのつながりが?ですが、ネイティブアメリカンの叡智がわからんようなアホちゃうよ-という意味でよろしいんで? ただし、『たった1万人しかしゃべってない言語』は狭い』というような、数や面積で普遍的な価値を判断する態度には反対です。
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blog-blues at 2009-02-09 12:12
スーちゃんへ。普遍性や相対性多様性について、僕の念いがうまくつたえられてないようなので、いま一度。僕の念いは、金子みすゞです。「みんなちがって、みんないい」。ヤップの海は日本の海より豊かでしょう。景観価値においても海洋文化においても。いや違う、湘南の海はヤップに劣るものではない。透明度が50cmだろうがマンタがいなかろうが、湘南の海には江ノ島がある。「みんなちがって、みんないい」のだ。って、ヘンじゃね。贔屓の引き倒しってもんだ。物事には必ずそれを測る物差があるでしょ、大仰に言うと普遍的価値観。で、物事は幾つも、多様にあるから、物差も多様にある。あらねばならない。少しだけ脱線します。タモガミくんは「国を愛することを禁じるような歴史観」と戦うと息巻いているが、まったく間違っている。事実は事実だ。名誉不名誉など一切関係なか、等しく認める広か心が必要ですたい。国ば愛するとは、そげん広か心たい。もとへ。日本には豊かな近代文学というものがある。ヤップには豊かな海洋文化というものがある。「みんなちがって、みんないい」。
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suyap at 2009-02-11 14:31
blog-bluesさん、
こうして読んでもない本のことを水掛論やってもしようがないことを知りつつ…やはり愚樵さんが書かれたとおり、blog-bluesさんと著者の<視点が「普遍」という観点に偏りすぎているところ>が気になる、のですが。 「みんなちがって、みんないい」というなら、東京湾とヤップの海を「比べる」べきじゃないし、わたしにとっては、どんな環境の水の中もいとおしいです。みんな自分の住む地域を大事にしたうえで、たまに旅して異なる地域や異文化に触れ、なんの批評も比較もせずそれに全身全霊で身を晒し、翻ってわが身を振り返ることに意義があるのではないでしょうか?異文化・異言語を序列化したり「普遍性」という魔術でくるめるのは怖いです。ちなみにヤップだって透明度が50cmだろうがマンタがいないという状況はありますよ。それでも海には一生懸命生きている生物がいる!東京湾しかり湘南しかり。それを見てニンゲンは元気をもらうんですたい。
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blog-blues at 2009-02-12 14:32
「ヤップより」へ。あなたの主張に従えば、『沖縄の泡瀬のサンゴ殺し』の海も『「比べる」べきじゃない』だろう。大分きれいになった今の東京湾も、ヘドロまみれの以前の東京湾も等価だ。そんなバカなことがあるもんか。金子みすゞの詩を読んでね。詩人は、私と小鳥と鈴を比べます。それで、みんなちがうんです。ちがうということは、その中のひとつのファクターに於ける優劣をも含みます。それがどうしたというのでしょう。優劣などひとつじゃない。森羅万象あるじゃないか。詩人は透徹な目でそれを見ています。そこに世の「かなしさ」を見ています。この「かなしさ」は「愛しさ」でもある。それが感じられない人とは話ができない。これ以上、僕をがっかりさせないでね。
サンゴが生きている海は、生きていない海より貴重でしょう。ヘドロまみれの海は、ヘドロのない海より劣るでしょう。もちろん人それぞれだから、ヘドロの海を見て元気をもらうニンゲンもいるでしょうよ。だからといって等価か。んなわけないじゃん。普遍的価値に則って、「サンゴを護ろう」「海をきれいにしよう」となるんじゃないのですか。普遍的価値を尊重しない姿勢は、摂理に背くものだと僕は念う。
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ごん
at 2009-03-02 19:17
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やあ、BLUESさん、
ここにコメントするのは、これで最後にするよ。けっこう楽しいブログだったから正直名残惜しいんだけど。いつまでもいじいじしてるのは好きでないからね。 でも、最後に、ひとつだけあたしの質問に答えてくれないかな。 ここで水村美苗氏の仰る、 「今、日本じゃあ、あたしなんかより頭の悪い人たちが書いてるんだから、あんなもん読む気がしない」 ってのは、具体的にどなたのお書きになった小説のことですか。 後学のために、心に留めおきたいので。 もちろん、ご存念のさまをつるりと手短に、でけっこうです。 (それ以上の言葉は語るに及びません。あたしは、BLUESさまと「それ以上」の関わりを捨てに来ましたゆえ。これは一方的なあたしのわがままですので、そういうふうなのは返事ができないというのであれば、このコメントは読み捨ててください) じゃあ、いろいろと世話になったね。 ごきげんよう。
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blog-blues at 2009-03-02 19:50
「ごん」へ。不作法も大概にしなさい。本書に当たればよかろう。そこで、自分の頭で考える。それが作法だ。存念通り、読み捨てにする。次からは、ソッコー削除です。
当方のサイトをごらんいただき、ありがとうございました。Yonaoshi!日本共産党キャンペーンの記事を拝見いたしました。わたしも、神奈川10区「落とせ二枚舌・自民党議員」のポスターを作りたくなりました。
いかな創価学会員でも、聖教新聞しか読んでいないということは、まずありえず、テレビで中川のへべれけ会見を見てしまった以上、麻生内閣支持層の最後の砦であった創価学会員が離反していくでしょう。 今ほど、共産党に追い風が吹いている時はありません。共産党と公明党の支持率の推移については、上記URLのエントリでグラフにしました。
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blog-blues at 2009-03-02 20:20
「文系ネットワーク屋のぼやき」へ。ようこそ、いらっしゃいませ。『今ほど、共産党に追い風が吹いている時はありません。』ですよねえ、然るに、赤旗志位之助クンは「百年に一度の好機」に向けた「百年に一度の戦い」を挑もうとしない。もう、がんがん党にメールを送ったり、エントリーをUPして、尻をひっぱたきましょう。こんな酷い保守政治は二大政党制とともに進捗したものであり、これを打破するためには、共産党の大躍進しかないのですから。最期に注文。できればコメントは、該当エントリーにお願いね。
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at 2009-03-03 16:38
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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blog-blues at 2009-03-03 17:40
「鍵コメ」へ。気持玉「ガッツ」押して来ました。「生きさせる!政治へ」のエントリーもTBしたんだけど、届いてないみたい。あるいは承認制かな。明日また、押しに行きます。180日でリハビリ打ち切りって何なんだ。政治が狂ってる。ここは、どうしても共産党に起ってもらわにゃならん。
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いつここ
at 2011-12-08 06:27
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日本伝統工芸の技、和の発見、からだにやさしい日本食などという特集を組んだときに漂う、日本人の・・・なんでしたっけ?自己満足?美しい日本語の件にあった部分ですが・・・。
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blog-blues at 2011-12-15 00:18
「いつここ」へ。コメント、ありがとうございます。うーん、随分前に読んだんで、ごめん、思い出せない。
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