一人でも多くの日本国民に読んでもらいたい。
大学の名誉教授の論考であるが、ちっとも難しくない。
易しすぎて、有り難みが薄いっくらいだ。
それがまあ、良くも悪くも、内田樹節ですね。
…構成員が民主的な討議と対話を通じて合意形成し、
リーダーは仲間の中から互選され、その言動について
つねにきびしい批判にさらされている「民主的組織」などというものを
今時の若い人は生まれてから一度も見たことがない…
えっ、そうなんですか?
僕は安倍総理と同じ1954年生まれですが。
小学校の高学年から中学高校まで、ずっと、
学級選挙で級長を選び、週に1時限はホームルームってのがあり、
遠足に持って行くおやつとか、修学旅行のおこづかいの上限とか、
クラスで討議して、決めていましたよね。
浦山桐郎の「キューポラのある街」でも、
きっちり描かれていた。
そうした戦後民主主義教育で育てられたものだから、
自分の意見を持つ、他人の意見を聞くなんてことは、
当たり前だのクラッカーだったのだが。
ちなみに、通信簿は5段階評価だった。
安倍総理は、公立の小中学校を出ていないので、
そうでないかもしれないが、公立の小中学校なら、
まず間違いなく、通信簿に1や2が並ぶ生徒だったろう。
国会審議に於ける、彼の答弁内容、口ぶりを聞けば、
勉学のできない子だったってことは、だれの目にも、
明らかだろう。云々を「でんでん」と読むんですから。
もちろん、勉学ができないことなど、人間の尊厳にとっては、
まったく問題ではない。しかし、僕らは、小学生であっても、
勉学のできない子を、級長には選ばなかった。
勉学ができ、かつ自己中心的なガリ勉タイプではなく、
リーダーシップっていう言葉こそ知らなかったけれど、
賢くて責任感の強い子を級長に推した。子ども心にも、
適材適所ってことが、分かってたんだ。
安倍晋三を総裁に互選する、自民党っていう政党は、
一体なんなんだ。小学校の5年1組以下ではないのか。
この戦後民主主義を激しく憎悪し、否定してるのが、
安倍総理っていうか、その後ろ盾の日本会議、就中、
中核組織であるカルト右翼の日本青年協議会であり、
やつらの悲願は今、達成されようとしている。
そうは、させっかよ!
一億総中流とまで喧伝された戦後日本の奇跡の復興は、
戦後民主主義がもたらしてくれたものではなかったか。
内田樹が批判している「株式会社モデル」の中にさえ、
戦後民主主義は息づいていた。地上の星たちを謳った、
「プロジェクトX」の一篇でも視聴すれば、明らかだ。
戦後民主主義を捨て去ることは、
日本国の衰退を意味する。現に今、そうなっている。
戦後民主主義が擬制だというのは一面の真理であろうが、
短見でもあるのではないだろうか。擬制なら、擬制でさ、
真制にしようじゃないか。それこそが、戦後民主主義じゃないか。
今僕が言えるのはこれくらいである。
内田樹の結論と同じっす。