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俳優ジョン・ウェインが好きではなく、必然的にジョン・フォード監督作品も
あまり観ていないのだが。「怒りの葡萄」には頭を垂れる、これこそ名画だ。 原作は、さらに深く感動的だという。 格差社会で喘いでいる若い人に、 原発事故で故郷を奪われた福島の人に、特に観てほしい。 力の弱いものが、強いものに徹底的に蹂躙され、屈辱に泣きながら、 根源的な不正義に、こんちくしょう!くたばってたまるかと、 怒りを力に換えて、生き抜いていく映画である。 背景は、大恐慌時代の米国。土地を追われたオクラホマの小作農の家族が、 オンボロトラックに家財道具一式を積み込み、ルート66を 「乳と蜜の流れる」西海岸めざして進む。巡礼のごとき、苦難の旅の物語。 1940年の製作公開で、米国憲政史上の最左翼フランクリン・ルーズベルトによる ニューディール政策のプロパガンダ映画の側面も伺える。 自由と民主という「アメリカ的正義」が希望であった時代であり、 その最良の果実は、敗戦国の日本国民にもたらされた。 ルーズベルトの思想的後継者の集まりGHQ民政局による、 「農地解放」「財閥解体」「公職追放」そして「日本国憲法」の押しつけだ。 とても素敵なものを押しつけてくれたと、僕は、思っています。 押しつけてくれなかったら、旧態依然のままであったろう。 僕ら日本国民ってのは、自分たちでは、なんもできないんだね。 「お上」のいいなりでさ。それじゃ、いかんのよ。主体性がないじゃないか。 今の今も、これだけ酷い目に遭わされて、虚仮にされて。 原発再稼働って、電力料金値上げって、消費税増税って、なんなんだ。 左翼のさの字も口の端に上らないって、ありえないだろう。 旧態をぶっこわすのは、怒りであり、怒りの根底にある愛であり、 怒りをぶつける勇気である。 レーガン以降の米国で、一貫してプアホワイトに寄り添い、 歌いつづけるブルース・スプリングスティーンもまた、 今こそ「怒りの葡萄」なのだと感じている。怒っている。怒らなきゃダメだ。 で、トムがこう言う かあちゃん、ポリ公が誰かをぶん殴るの見たら 生まれたばかりの赤ん坊が腹をすかして泣いていたら 黒人たちを襲う喧嘩や憎しみの気配があったら おいらをさがしてくれよ、かあちゃん そこにおいらがいる 誰かが自分の場所を得るために苦しんでいたら まともな仕事や助けをもとめていたら 誰かが自由になろうと苦しんでいたら やつらの目を見てくれよ、かあちゃん そこにおいらを見るだろう ハイウェイは今夜賑やかだ 誰もふざけちゃいない、どうなるか誰ぞ知る おいらは焚き火のそばに座ってる トム・ジョードの亡霊と一緒に かあちゃん、ママ・ジョードのやさしさと強さに、 トム・ジョードの目を開く、説教師くずれケーシーの男気に、しびれる映画でもある。 観る者もまた、人間の尊厳に、目覚めずにはいられない。これこそ名画だ。
ご贔屓作家の三浦しをんが、毎日新聞の書評欄で
丸山健二への熱愛を語っていて、意外の感に打たれた。 それまで丸山健二を読んでなかったのですが、あー、物を投げないでください。 そこが情報化社会の浅ましさ。三島由紀夫似のマッチョな作家で、確か 最年少で芥川賞を取ったんだよな、安曇野に居を構え孤高の作家やってるんだよな、 てなことだけは知っていた。ただのレッテルである。それも杜撰極まりない。 情報化社会ってえのは、つくづくダメです。 で、三浦しをんの紹介にそそられ、 ソッコー、処女作「夏の流れ」を読んでみた。 情緒が嫌いな人なのだろう。今少し言葉を足せば、 情緒に潜む、偽善や曖昧、つまりは 日本的なメンタリティを拒否したい人なのだろう。 僕の知る範囲では、映画作家の大島渚が、 そういうタイプの日本人離れした芸術家だった。 硬質なリリシズムが漂いますね。ラディカルなんだよな。 その丸山健二が、孤高の作家には、まったく不釣り合いなのだが、 大島渚リタイアの後久しく途絶えていた、体制を揺るがす斬人斬馬の文化人発言、 火中の栗を拾う挙に出た。WEBでの社会時評だ。 なぜか。答えは、解っている。3.11だ。 丸山健二の立ち位置は、徹頭徹尾、実存主義だ。 いみじくも近刊本のタイトルは「首輪をはずすとき」。 首輪なんて付けられたことないぜとはいわない。 ってゆうか、首輪されなかったのね。飼い主に警戒されたんだ。 それを誇りにしたい気分だってあらあな。 なんたって実存主義ですから、僕だって。めっちゃヤワですけど。 近刊本は未読だが、WEBは一気呵成に読んだ。 首輪をはずそうじゃありませんか、みなさん。 面白きこともなき世を面白く、するために。生きるために。
あー、面白かった。
前回エントリでお知らせした日本一の悪場所、 新宿歌舞伎町「ゴールデンエッグ」でのライブである。 自分もその一人で、なんでありますが。 出て来るシンガーが、一癖も二癖もあって、飽きないなあ。 まるで、伝説の春一番コンサートのようでありました。 ・森沢泉 ・うたたね歌蔵 ・和田多聞 ・佐藤龍一 というオーダー。 森沢泉と和田多聞は、これで三回目の競演となる。 僕のご贔屓のシンガーソングライターだ。 佐藤龍一とは初顔合わせであったが、 年季の入った素晴らしいギターと唄、ブルースハープを聴かせてくれた。 「明日5月5日は原発稼働がゼロになる。なにかお祝いしたい気分だ」 こんなメッセージをステージから投げかける男の唄が、面白くないわけがない。 僕の今日のラインナップは次の通り。 ・Waltz for Geisha-girl ・有漏路 ・歌舞伎町哀歌 ・Tokyo-Bay Blues ・青梅宿小唄 エヴァンスの「Waltz for Debby」とは似ても似つかぬ 耳をふさぎたくなるような情念節の1曲目から、 一休宗純の和歌をモチーフにした2曲目、題名からして嗚咽してしまいそうな3曲目、 愛と怒りを叩きつけるブルース・スプリングスティーンスタイルのフォークロックナンバー、 そして、日本情歌のラストナンバーと、もう、おどろおどろの世界。 浅川マキや三上寛、友川かずき、早川義夫なんぞが好きな人には、おすすめ。 また数ヵ月後には、演らかします。好きな人は、来てね。 昨年末より、自作曲を着うた配信しています。 アクセスは、こちらです。
散る花も出づる若葉も桜木のなんぞ悲しきひともとなれば
桜が散ってしまった。落花狼藉とばかりに ひどく無惨に映るが、それは、人目ゆえのこと。 桜にとっては、きのうに変わらぬ生の営みなのだろう。 ゴールデンウィークの真っ盛り、 日本一の悪場所、新宿歌舞伎町のライブハウス ゴールデンエッグでライブを演らかします。 5月4日 金曜祝日 みどりの日 開場13:00 開演13:30 チャージ1,500円(1ドリンク付き) 歌蔵を含め、4~5組が出演します。 ケッなにがゴールデンウィークだ、クソ面白くもねえ。 という後ろあるいは横向きなひとへ。 せっかくのゴールデンウィークなんだもの、有意義に過ごしたいわ。 という前向きなひとへ。 愛と怒りを込めて、歌います。
八日日曜日、日本橋の「さくらまつり」に足を運んだ。
老舗の若旦那衆の肝煎りであろうか、お江戸日本橋の土地柄なのか、 どこか春風駘蕩たる乙な気分に包まれた、グッドなイベント。 フリーコンサートが催されていて、どの出演バンドも エンターテイメント性豊かで達者なステージ、たいしたものだ。 ホーンセクションを揃えたソウルバンドに、ストレートなR&Rバンド、 津軽三味線の合奏に、癒し系のフォークロックバンドと顔ぶれも多彩。 ちらりほらりと花びらが舞う中、一杯きこしめしながら、ゆったり愉しむ。 しっかし、こうなると、チャージを取って聴かせるライブは大変だ。 芸術性ってゆうか研ぎ澄まされた精神性がないと持たないし、 かといって、その手の音楽表現は、時流からは遥かに遠い。 先日のロバQのライブのように、閑古鳥が鳴くことになる。 ま、それも、いいっか。花に嵐のたとえもあるさ。
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