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図書館に予約を入れて、半年ほど待って、1日で読了した。
随分と評判になった、和田竜「のぼうの城」である。 豊臣VS北条に於ける、武州忍城の籠城戦を描いた時代小説といえば、 天才山田風太郎の忍法帖シリーズでも屈指の傑作「風来忍法帖」が、思い浮かぶが。 本書も十分面白い。僕の胸を熱くしてくれた。 もちろん、元々は映画脚本として書かれたものであり、 文学的な完成度から見て、瑕を指摘するのは容易いが、 それを補って余りある、作家の叙志である。これに、痺れた。 石田三成を総大将とする豊臣方二万の軍勢に包囲された、北条方の支城、 忍城五百の将兵を預かる城代でくのぼう様、略してのぼう様、成田長親が、 和戦いずれかを下問する驕慢な軍使長束正家に対し、戦場にて相見えると宣う。 『強き者が強きを呼んで果てしなく強さを増していく一方で、弱き者は際限なく虐げられ、 踏みつけにされ、一片の誇りを持つことさえも許されない。小才のきく者だけが くるくると回る頭でうまく立ち回り、人がましい顔で幅をきかす。ならば 無能で、人が良く、愚直なだけが取り柄の者は、踏み台となったまま死ねというのか。 「それが世の習いと申すなら、このわしは許さん」長親は決然といい放った。』 よーし!異議なーし!侠気である。一寸の虫にも五分の魂である。 本書は、多くの人心を捉えたというが、どっこい庶民大衆の心意気は、 功利万能の新自由主義下の平成にっぽんに於いてなお、 命脈を保っていたという証左であろうか。うれぴー。 この後につづく、籠城戦の攻防が、また手に汗を握らせる。 就中、絶体絶命の水攻めを打ち破る、長親渾身の奇策「田楽踊り」が、 か、か、かっけー! そして孤軍奮闘、最期の最期まで城を護り抜き、 本城小田原落城の報を受け、遂に開城するのだが。 城明け渡し場面での長親と三成の対決が、これまた胸のすく欣事である。 これほど格好良く描かれた石田三成を僕は知らない。 まるで、勧進帳に於ける、弁慶と富樫である。 こうでなくっちゃね。人は情けと男伊達なのだ。
日曜の朝、フォークジャンボリー云々のアナウンスが、
NHKから聞こえてきた。画面に注目すると、 「輝け僕らのフォークソング〜岐阜 伝説のコンサートから40年」という 地方制作局の番組をこれから全国放送するとの由。 これは観らねばなるまいと、TV桟敷の前に陣取った。 伝説の中津川フォークジャンボリー、その40年の時を隔てた 復活コンサートを逐ったドキュメンタリー番組だった。 過去の映像で、パーマネントヘアにレイバンのサングラス、 アーミージャケットを纏ったいかにもな若造が ちらりと画面を掠めたが、あれは、38年前の自分ではなかったか。 高1の時、映画館のスクリーンで体験した「ウッドストックコンサート」、 高3の時、中津川の山の中で体験した「フォークジャンボリー」、 世の中にはこんな面白いことがあるんだ!僕の精神は その時つくられ、今も、あの時のままだ。進歩も退歩もしていない。 おまんこマークと「遠望楽観」の旗じるし、自由の風に吹かれて。 ♪〜 おお今も昔も変わらないはずなのに なぜ こんなに遠い ほんとのことを言ってください これが僕らの道なのか 〜
つけっぱなしのテレビから、聞き覚えのある唄が聞こえてきた。
あわてて目を遣ると、清酒大関のCM、リメイク版である。 田宮二郎に代わって演じるのは、稲垣吾郎っていうタレントか。 先代の持つ男の色香は望むべくもないが、 オールドファンには、とにかくうれしい。 加藤登紀子の唄うCMソングが、滅法いいのだ。 こころの琴線に触れる。 ♪〜 白い花なら 百合の花 人は情けと 男伊達 恋をするなら いのち懸け 酒は大関 心意気 〜 勝てば官軍は、世の習いだろうが。それに抗う美意識もあった。 「意地」と「張り」の金看板、庶民の精神文化である。 こいつを失くしちまったら、世の中、真っ暗闇じゃあござんせんか。 功利万能主義では生きられねえと お嘆きの貴兄に、清酒大関リメイクCM。
って今頃、何言ってんのォ、文芸ブログが聞いて呆れるわ。
いやー、お叱りごもっとも、面目ない。と、桑原和男してますが。 シルバーウィークに本でも読もうかと図書館へ行き、 書名と装幀に惹かれ、星野智幸「ファンタジスタ」を借りたのだ。 10年間に亘り毎年3万人以上の国民が自殺しつづける、 震撼するほかない日本という社会の、その病巣を腑分けしようと 言葉で立ち向かった、まごうかたなき純文学の営為である。 読んで楽しいものではない。文学的完成度にも難があろう。 いたって読みづらい。不分明だ。しかし、現代日本の病巣が、 はい此処です。処方箋は、はい此れですと分明できるものでは ない以上、実態に見合ったものであり、誠実の顕われとも評し得る。 作風には、明らかに村上龍の影響が看て取れる。 野間文芸新人賞の表題作も力作だが、 芥川賞落選の収録作「砂の惑星」が、さらに胸を衝く。 作者は生来、同調圧力社会が大っ嫌いであり、 コアなサッカーファンで、オシムを信奉し岡田監督を毛嫌いする。 また、政治的発言も能くする。こうした面も村上龍と被る、しかし。 疾うにLOVE&PEACEの歌を忘れ、新自由主義のスポークスマンと化した、 芥川賞選考委員オヤジを完全にぶっちぎっている。未読の方は、ぜひ。
笙野頼子のファンである。正確に言えば、
八百木千本や桃木跳蛇に、ぞっこんなのだ。 もう子どもの頃から、日本社会特有のって外国のことは存じませんが、 同調圧力ってえのが、大大大大大っきらい!僕の半生は、それとの闘いであった。 今もつづいている。もっとも、逃げ廻ってばかりですけどね。あちゃ。 半生の経験に照らして断言する。いわゆる「男らしい男」は断然女性に多い。 「女の腐ったようなやつ」は男性ばかりだ。だから精神衛生上、男性を避け、 専ら女性と仲良くしてる。ただのすけべえだろってツッコミは、甘受だ。 こうした劣悪な男性が支配する理不尽極まる社会に対して、 敢然と真っ向勝負を挑んだのが、純文学の書き手笙野頼子であり、 そのお筆先ってゆうか、ワープロ先から生まれたヒロイン、 八百木千本や桃木跳蛇である。彼女らの闘いは、あまりに痛快、かつ感動的だ。 最高の名場面は、書き手笙野頼子によって命名設定された スプラッタシティーに於ける、桃木跳蛇の言葉との格闘だ。 同調圧力に従わず、言葉から成る階段地獄に堕された跳蛇が、 彼女の自尊心を根こそぎにしようと次々に襲い来る「馬鹿女」という単語を含む 抑圧中傷を、抜群の言語能力で以て、片っ端から返り撃ちにしていく。 そして味方となる「馬鹿女で悪かったな馬鹿野郎」という言葉を紡ぎ、 それを翼に、階段地獄からワープするのだ。桃木跳蛇、カッけえー。 八百木千本の闘いもまた、凄絶である。なんせ「ブス物」小説で名を売る 私小説家である。私小説家の命は、描写力である。そして笙野頼子と言えば、 デビュー当時より抜群の描写力を誇り、かの藤枝静男からも瞠目されたほどの 逸材である。その文芸のすべてを注いで、笙野本人をずっとずっと気の遠く なるほど苦しめて来たであろう「ブ貌」を客観描写するのである。初読のとき、 僕は思わず本を閉じてしまった。純文学者の覚悟の前に、畏れを為したのだ。 女性差別、就中、ブス差別闘争を戦い抜き、今も闘いつづける 笙野頼子こそは、すべての虐げられしものたちの希望である。神様仏様跳蛇様。
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